父のアルバム【31】第四章 新しい出発

肺結核を患い、医師にも見放された夫の看護に献身した青木行(あおきいく)の奮闘ぶりを新聞記事で読み、幼かった次兄の病気のことを思い出した。

次兄は小学校3年生のころ左足関節に結核を発症し、生死の境をさまよったことがある。ちょうどその時期は行が父と再婚して間もないころで、彼女は母として次兄の病気の全快のために心血を注いだ。その際、前夫の看病の教訓が生かされたに違いない。

しかし幸運なことに次兄の場合、有力な結核治療薬ストレプトマイシンを使うことができた。この薬は、結核の治療に用いられた最初の抗生物質で、1944年にアメリカにおいて初めて治療に成功した。

父の語るところによれば、ストレプトマイシンはとても高価なもので入手に苦労したという。ハワイに住む父方の親族のつてで手に入れることができたのである。行の献身的看病と特効薬によって、左足に後遺症が残ったものの次兄は奇跡的な回復をみせた。1年間の休学を経て元気に学校に復帰した。

私は1年生のころであまり記憶にないのだが、自宅療養の次兄が寝ていた部屋の風景が目に浮かぶ。大工さんに作ってもらったのであろう、杉製の寝台(ベッド)の上に布団が敷いてあった。

このべッドは大事にされて不要になっても長く保存されていた。私がUターンした時にも実家の倉庫の2階に置いてあり、懐かしさがこみあげてきたものだ。次兄をはじめ家族それぞれの思い出を染み付かせたまま数十年もの間、眠りつづけていたのである。

左隅の写真は記念の写真である。行を母に迎えて最初の家族写真である。しかし当時のことで、よほどのことがないかぎり家族写真を撮らないはずだ。小学校の校庭で写したものである。背景が満開の桜であることを考えると時期は新学期だったのであろう。皆の笑顔が弾けており、お祝いの雰囲気が溢れている。

おそらく次兄の病気が全治し、学校復帰が叶ったことを祝って写真を撮ろうということになったのだろう。後列左の行の表情に引き込まれてしまう。母親としての心底からの笑顔に見えるのである。

父と行が再婚したのは生母清子が病死して数カ月後のことである。そのことが物議をかもしたと私は成人になって聞くことになるのだが、その再婚は正解だった。それがなければ家族は崩壊していたかもしれないのだ。

前列真ん中がいとこ、その右が次兄、その左が筆者。

(青木忠)

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