ふたりの時代【63】青木昌彦名誉教授への返信

忘れえぬ人たち(5)
日本基督教団副議長であり、横浜市の紅葉坂教会牧師の岸本羊一さん(1931-1991)には公私にわたってお世話になった。数年間ではあったが、岸本牧師との交流を通じて、思想的にも人間的にも視野をひろげることができた。そのころの横浜市は、オーム真理教事件前夜という状況で、牧師自身も、「駅のプラットホームで後ろから背中を押されないよう気を付けてください」と注意を受けたという。


語り合う内容は様々な分野におよんだ。牧師の国際活動である、拉致された金大中氏の救出運動や台湾基督長老教会との交流のこと。私が山本周五郎の作品が好きだと告げると、「彼の作品の底流には聖書の精神があるんだ」と解説してくれ、代表作の文庫本を譲り受けた。生活苦にあえいでいたころで、有難かった。あらためて数えてみると、「柳橋物語」など十一冊あった。私の戦争観の形成に重大な影響を与えた「戦中派の死生観」(吉田満著、文春文庫)を読むことを薦められたのも、このときである。
今でも忘れられない岸本さんの言葉がある。政治活動をつづけている私に、「自己絶対化はだめだよ。たえず自分を相対化してものごとを考えなさい」と忠告してくれた。私は「そうですね」と力をこめて同意した。これは、自らの生き方の導きとなった。あるとき、間もなく誕生してくる長女に名を付けて欲しいとお願いした。しばらくして聖書から「恵(めぐみ)」という名を受け取った。「降りかかる試練をすべて、神からの恵として積極的に受け止めなさい」という、意味がこめられていた。
やがて私は政治活動をやめ、東京目黒区の自宅で家族と生活することになった。生まれた長女・恵に会いにきてくれた。私の近況も心配であったようだ。だが本当は心配しなけれならないのは私の方であった。すでにこのころ岸本さんは肝臓ガンを患い、そのことを自覚していた。あらためて使命感に満ち溢れた牧師の心の強さを知った。
因島に家族あげて帰省することを決めたある日、家内をつれて牧師宅を訪問した。病状の進行は明らかだったが、夫妻とも笑顔で迎えてくれ、手づくりの家庭料理で歓迎してくれた。お別れの晩餐会となった。因島に住み着いて一カ月が過ぎたころ、私を追いかけるように教会から訃報が届いた。そして、それには牧師の遺作となった、「スキャンダラスな人びと―レーン夫妻スパイ事件と私たち」(新教出版社)が同封されてあった。
それには、遺言として次のように記されていた。
―(キリスト者は)この世界のなかで、イエス・キリストを遣わしたもうた神をほかにしてまことの主はない、とするゆえに、皇帝や天皇が神をよそおう、絶対的な国家権力に対立せざるをえないのです。そして、そうした国家権力の側は、そのことをよく知っているからこそ、みずからの絶対的な権力を行使しようとするときに、このような信仰に立つキリスト者たちを邪魔な存在と考え、その信仰を力で脅して骨抜きにしようとしたり、あるいはそれに従わない人たちを「スキャンダラスな人びと」として、社会から排除したりするのです。それが迫害ということなのです。
―こうして私たちは「スキャンダラスな人びと」を恐れず、みずからこの「人びと」の一部となることの積極的意義を考える必要にせまられます。これは必ずしも、キリスト者だけの課題であるとは思いません。現代の社会のなかで、エリート意識によらず生きてゆく積極的な生き方に、「スキャンダラスであることを肯定しつつ、大胆に生きる」という可能性が考えられるのではないでしょうか。
岸本羊一さんとお別れして間もなく20年になる私の生き方が果たして、どれほどスキャンダラスであるのか、自問自答の日々である。

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