ふたりの時代【10】青木昌彦名誉教授への返信

出版祝賀会 上
 連載も10回目を迎えた。青木昌彦氏の日経新聞「私の履歴書」登場によって、私の生きる姿勢と生活環境がいかに劇的な変化をとげたか、述べてきた。この変化はさらに進行するのである。いや、予想もしないコペルニクス的な転換が待っていた。それは、青木昌彦著「私の履歴書 人生越境ゲーム」出版祝賀会への出席によってもたらされた。


 同書は、新聞に連載されたものを2倍以上に拡大して出版された。それに応えて69人のメンバーの呼びかけで祝賀会が東京半蔵門のホテルで開催されることになった。すでに記したが、私は祝賀会幹事の巧みな誘導に乗せられて呼びかけ人になり、出席を決めた。東京から、会は60年安保全学連の同窓会のようなものだという説明が伝わってきたが、そうした意識のまったくない私は、著者のルーツのある因島椋浦町住民の一人として参加しようと思った。それほどまでに地域の生活に慣れ親しんでいた。
 とは言うものの不安は残り、最低の予備知識だけは準備しようと思った。およそ4年間の年齢的なずれで私にとって初対面になる、呼びかけ人のプロフィールを知ろうとした。私を除く68人のうち面識があるのはわずか8人。またそのほとんどが、いくつもの裁判闘争でお世話になった弁護士たちだった。故人を偲ぶためにその人の夫人から、たまたまお借りしていた複数の60年安保闘争の文献に、多数の寄稿文が掲載されていることを思い出し、丁寧に読み込んだ。
 東京駅から地下鉄に乗り換え、半蔵門駅で降りて会場のホテルに向かった。かなり早めに到着したのだが、受付はすでに始まっていた。手続きを済ませ、名札を付けた。しばらくして、受付附近で因島商工会議所の村上祐司会頭とおちあった。
 受付を訪れる出席者が増えるにつれて、意外なことに気付いた。出席者に知人が意外と多く、しかも私が上京することを事前に知っていたみたいだ。みんな、およそ20年ぶりなのだが、打ち解けるのに時間は要しなかった。会話がすすむうちに、青木昌彦氏の挑戦的な人生が1カ月にわたって日経新聞に登場し、しかもそれがパワーアップされて出版されたことが反響を呼んでいること、その祝賀会に私が呼びかけ人として出席することが、それなりに話題になっていたことを実感した。昌彦氏の場合は当然であろうが、私がすっかり忘れられた存在になっていることを前提にやってきたのにと、一瞬戸惑ったが、いまさら引き返せないと、その場の雰囲気に身を任せることにした。
 主賓の昌彦氏は二次会で、「危ない会への出席をとりやめたら」という夫人の心配を笑いながら紹介していたが、祝賀会は確かに同窓会の雰囲気が終始漂っていた。出席した江田五月参議院議長はその日ことを、自らのホームページの「活動日誌」に次のように記している。
 ―13時半過ぎから、青木昌彦さんの「私の履歴書 人生越境ゲーム」出版祝賀会に出席。青木さんは学生運動で私よりちょっと先輩で、私の入学当時には既に光彩を放つ論陣を張っており、その後の活躍で注目を浴びています。学生時代からの古い友人らが多く集まっており、ちょっと顔を出すつもりが、挨拶まで行い、懐かしい友人らと二時間半ほどゆっくり歓談しました。
 昌彦氏は1938年、江田氏が1941年、私が1944年生まれである。この時代に生まれ、1960年と1970年の2つの安保闘争に青春をかけ、それをその後の人生の支えにしてきた100名をこえるメンバーが、集まった。この会にどのような意味があったのか定かでない。私にとっては、意図したわけではないが、大きな収穫があった。東京を離れて、住居を生まれ故郷の因島に移してほぼ20年になるが、絶えずつきまとった人生上の中途半端さを突破する足がかりをつかんだような気がした。

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