父のアルバム【29】第四章 新しい出発

父はアルバムに青木行(あおきいく)についての中国新聞の記事を貼り付けている。昭和17年5月1日のもので、大阪鉄工所因島工場時代のエピソードが記されている。

「産業戦線美談 忍苦の妻に春甦る」という見出しの戦時美談記事である。全文を引用する。

―医師に絶対不治とまで宣告された病夫を励ましつゝ夫に代つて産業戦線に働くこと十五年、愛の一念はつひに夫を全治させたといふ広島県御調郡土生町青木行さん(四二)の美談――いま遡る十五年前の昭和二年行さんの夫要太郎氏(尾道市史編纂主任青木茂氏令兄)は、大阪鉄工所因島工場技師として奉職中胸を患ひ医師からは絶対不治の宣告を受けた、生活の途さへと絶えた新妻行さん(当時二七歳)は一時は途方にくれたが、工場に情けを訴へて採用してもらひ当時女子の身で産業戦線にしたがふものはなかつたにもかゝはらず馴れぬ事務から、タイプから、給仕代りまでして勤務すること十有五年、その間あらゆる医書を漁り結核は必ず治るとの確信を得るとともにともすれば沈み勝な夫を励ましつゝひたすら夫に仕へたのであつた、そしてまた日曜日ごとに住んでゐる土生町から山を越えて夫の両親の住む三浦村椋浦まで行つて孝養することも怠らなかつたこの行さんの愛情に天も感激したのであらう、あれほど不治といはれた要太郎氏は漸次快方に向ひ大東亜戦のはじまるころには再起の姿を神戸○○造船所にみせるにいたつた一方行さんも因島工場では女子としての最高の資格雇員にまで登用されたが、このほど夫にしたがつて神戸に赴くことになつたので工場でも行さんの美しい心を賞して特に金一封を贈り別を惜しんだのであつた(写真は青木行さん)

この記事は、昭和2年(行27歳)から17年(42歳)の15年間に関するものである。

行が青木要太郎と結婚したのは大正9年11月。夫は大阪鉄工所因島工場に勤務する造船技師である。ふたりは結婚後、椋浦の両親と離れて、職場のある土生町に住んでいた。当時の椋浦から土生町への通勤は、便数の少ない船か、かなりけわしい峠越えしかなかったから、それはやむを得なかったのだろう。

夫は肺結核を発症、医師から不治を宣言された。この絶対絶命の危機に妻は、夫に代わって造船所に勤務するとともに夫の病気回復を支え、さらに両親の世話も怠らないという奮闘ぶりであった。

やがて行は、女性として最高の資格を有する社員になった。要太郎の病状は快方に向かい、神戸の造船所で職場復帰するまでになった。夫の転勤に伴い妻も神戸に向った。

「美談」なので、少し差し引いて読むとしても、行ならきっとそうしただろうという想いがする。

青木行の大阪鉄工所時代の新聞記事。見出しの右脇に「昭和拾七年五月壹日」と日付の印が押されている。行の死後父が、保管書類綴中に発見した。

(青木忠)

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