北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【8】

掲載号 11年03月12日号

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物語りは明治時代から一足飛びに大正―昭和へと移り変わっていくのでご容赦願いたい。江戸時代が終って欧米列強のせめぎあいのただ中にあった日本という、まことに小さい国が力も広さも10倍も違うロシアと戦って近代日本の青春期を迎え、太平洋戦争で大きな犠牲を払いながら自由を手にした近世史の一駒として投影していただきたい。

移民家族の明暗

さて、漁業が難しくなったキミコたちの家族は漁船3隻を売って島内で買い求めた50エーカーの原野の開墾が始まります。切り倒した丸太は材木や薪などにして売り農作地を広げました。両親が漁を続けられた間はキミコとサヨコは姉弟の面倒を見ながら鶏を育て、卵や鶏肉の生産販売をしながら家計を助け、養鶏小屋の水周りをよくする設備を作るなど鶏卵だけで生計が立てられるほどになりました。そこで残りの2隻の漁船も売ることになり、キミコ岡野ファミリーのカナダ移民は当初夢見た海の漁業から陸の農場経営への転換へと歩み始めました。

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Salt Spring Island Archivesより

1923(大正12年)19歳のキミコはタマゴを運ぶためのトラックを購入、ソルトスプリング島で初の女性ドライバーになります。フォードのTモデル3/4tトラックを800㌦で代理人だったギャビン・モアッツト氏から購入、そのトラックで代理人が経営する会社へタマゴを届け、帰りは飼料を積んで帰っていました。

余談ですが、キミコは島で初の女性ドライバーというわけですが女性トラック野郎という異名があり今風にいえば暴走ドライバーで歩行者たちは彼女のトラックが近づくと危険を感じていたそうです。

ともあれ、このころになると、岡野一家はイチゴやラズベリー、野菜など自分たちが育てた農作物をビクトリア州の卸売業者へ出荷するまでに成功、さらに土地を購入し、規模を拡大していきました。

そして1925年(大正14年)キミコとサヨコの二人はカナダから故郷、広島県御調郡田熊村(現尾道市)に住む祖母の誕生日祝いに錦を飾ります。

(庚午一生)

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