2011年03月
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因島高生徒会と有志は20日、同校吹奏楽部定期演奏会会場の市民会館で、東日本大震災救援の募金活動を行なった。開演前のロビーに看板が立てられ、生徒会役員や吹奏楽部員らが、来場者に募金を呼びかけた。総額13万円3千円が集まっ...(11/03/26)
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暑さ寒さも彼岸まで―。昔の人たちはすごいと思うことが多い。余寒の厳しさも春の彼岸になれば薄らぐという長期気象予報である。「彼岸」は春分と秋分の日を中日とした前後七日間をいい、昼夜の長さがほぼ等しい、気候の変わり目を予測...(11/03/26)
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地元製造業の現場を高校生や教員などに見学してもらおうと商工会議所工業委員会が主催する「因島ものづくり企業見学ツアー」が23日、行われた。 ...(11/03/26)
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62代エンペラーの末裔― ムラカミ・カツヨリの本家筋に当たる因島重井町の農業、村上安弘氏(84)=経済学博士、元市議会議長=は「彼は裕福な家の生まれだったことに違いない。5人兄弟の4番目。身体の大きな好男子で冠婚葬祭な...(11/03/26)
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土生・三庄・田熊の3中学校が新設統合された因島南中学校は、最初の卒業生が巣立ち、創立一周年を迎える。岡本和信校長に、一年をふり返るとともに来年度の抱負を聞いた。 第一回文化祭で三年生が劇「明日に続く海~水...(11/03/26)
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因島南中学校は18日、PTAと民生児童委員協議会と共催で、地域交流授業「長老に学ぼう大作戦」を行なった。 ...(11/03/26)
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17日の中学校につづいて尾道市内の小・幼・保の卒業式が相次いで行なわれた。小学校は24日(百島17日)、1218人。市立幼稚園は18日、重井学園16日、田熊幼稚園17日、瀬戸田町の博愛幼稚園23日に行なわれ、390人が...(11/03/26)
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時代遺跡の島(15) 米軍作成地図 2008年8月、空襲当時に米軍が作成した、「土生 日本本州広島県因島」というタイトルの因島南部の地図が送られてきた。1万2500分の1で約60センチ四方の大きさ。無論、すべて英文である...(11/03/26)
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11日に発生した東日本大震災の被災者救援のために尾道市からも12日、消防、水道の車輌と職員が、現地に向かった。 ...(11/03/19)
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全国で栽培されたジャンボ大根の重さを競う第7回フェスティバルが13日、因島重井町の万田発酵(株)特設会場で開かれ、約1800人が参加した。 ...(11/03/19)
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尾道市平原1丁目に移転新築したJA尾道総合病院の竣工式が17日に行なわれた。着工は平成21年9月、工期は19カ月。総工費159億円。新病院の開院は5月1日、外来開始が同6日である。 ...(11/03/19)
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因島土生町の福井盛人6段が13日、囲碁の第57期中国本因坊戦県東部地区予選のBグループで優勝し、県代表決定戦への出場を決めた。 ...(11/03/19)
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重井の村上家と結婚 キミコ・オカノ=と妹サヨコの里帰りは10年ぶり。大正デモクラシーの影響を少なからず受けていた因島の田熊村民の目に映ったカナダ帰りのモダンガールに話題が集まったようだが「なにしろ昔の話で―」と、言葉...(11/03/19)
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内海造船(株)因島工場で建造中の2535個積コンテナ運搬船「ハンジン ジュベル アリ」が15日、完工した。 ...(11/03/19)
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昨年4月に誕生した因島南中学校の初めての卒業式が17日、同校体育館で行なわれ、84人が巣立った。岡本和信校長は、式辞の冒頭に地域の支援への感謝を語り、「第一回卒業生としての誇りをもって欲しい」と、卒業生を激励した。 ...(11/03/19)
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第3回因島近島子供将棋大会が12日、土生公民館で開催され、因島土生町、因島三庄町、上島町弓削から9人が参加し熱戦を繰り広げた。成績は次の通り。 ...(11/03/19)
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地震雷火事親父という言葉がある。世の中の恐ろしいものを順番に並べたようだが、親父は古い家族制度の権力者の地位にあった。明治時代では不良息子を戸籍から消したという話を聞く。いわゆる勘当で、親父は怖い存在であった。...(11/03/19)
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中庄幼稚園3歳児の17人が14日、同町の小規模多機能ホーム「ひだまり」を訪ね、利用者のお年寄りと交流した。 ...(11/03/19)
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大浜保育所の園児36人は16日、同町のアメニティ公園・くじら遊具広場に、パンジー500株を植えた。 ...(11/03/19)
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63時代遺跡の島(14) 因島捕虜収容所(12) これまで、著者が捕虜として因島に連れてこられ、福岡県宮田で解放されるまでを見てきた。その3年半におよぶ捕虜生活のなかで著者にとって忘れられないのは、仇名"ジョージ"と呼ば...(11/03/19)
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「デイサービスセンターふぁみりぃ因島」が1日、因島重井町鬼岩(レストランシーガル跡)にオープンした。自宅から通いながら、入浴、食事、各種介護、機能訓練(予防介護)、レクレーションなどのサービスが受けられる。デイルーム(約...(11/03/12)
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因島出身の作家・湊かなえさん=写真=が20日(日)午後1時、啓文社ポートプラザ店(福山市入船町3-1-25、TEL084-971-1211)で、新刊「花の鎖」(文藝春秋)のサイン会を行う。 ...(11/03/12)
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因島高校同窓会(小江章会長、2万6973人)は創立90周年特集号を1万5000部発行し、10日に尾道市広報とともに因島の全戸に配布をした。 ...(11/03/12)
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シネマ尾道の入口横に、地元の映画ファンによる手作りの掲示板が2月24日、完成した。大きさは縦130センチ、横60センチ。さっそく、観た映画の名場面や感想が書かれたカード12枚が貼りだされた。それを作ったのは、尾道市土堂...(11/03/12)
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2011ミス尾道が6日決まった。会社員の馬原美晴さん(29)=写真右=とイラストレーターの永田冴さん(20)さんのふたり。いずれも向島町在住。 ...(11/03/12)
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物語りは明治時代から一足飛びに大正―昭和へと移り変わっていくのでご容赦願いたい。江戸時代が終って欧米列強のせめぎあいのただ中にあった日本という、まことに小さい国が力も広さも10倍も違うロシアと戦って近代日本の青春期を迎...(11/03/12)
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里山緑化推進運動をつづけてきた「自然を愛する中庄の会」(菱田太郎会長、110人)は6日、同町にある県営奥山ダム周辺にソメイヨシノ171本を植樹した。 ...(11/03/12)
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因北中学校3年生の2クラス52人が9日、因島中庄町の水軍城山門近くに卒業記念植樹を行なった。平成12年から、「自然を愛する中庄の会」の指導を受けてつづけてきており、今年で10回目になる。 ...(11/03/12)
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統一地方選挙を控え新年度予算審議もそこそこに議会を終え「お願いコール」が始まった。平成の大合併で23の市町になったとはいえ選挙準備は昔も今も大差ない。知縁、血縁、カバン、カンバンをベースに旧態依然とした選挙戦が繰り返さ...(11/03/12)
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時代遺跡の島(13) 因島捕虜収容所(11) 著者は、「エピローグ――日本を再び訪ねて 一九六九年八月」の冒頭に次のように書いている。...(11/03/12)
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尾道大学特任教授・会社経営の河野正夫氏(45)が2月27日、任期満了に伴う尾道市長選挙(4月17日告示、24日投開票)に立候補することを表明した。 ...(11/03/05)
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尾道市選挙管理委員会は2月27日、市長選と市議選(4月17日告示、24日投開票)立候補予定者説明会を尾道市公会堂別館で開催した。現職27人、元職1人、新人7人の35陣営が出席。後日、現職1人、新人1人が資料を受け取りに...(11/03/05)
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因島三庄町に住む藤田治美さんは、自宅に併設されているコミュニティーダンススタジオで、ピラティスを教えている。幼少の頃からモダンダンスを習い、大学も舞踊教育学科に進み、ダンスを生かした仕事をめざしてきた。ロンドンへのダン...(11/03/05)
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昔ながらの厳寒手造りの醸造酒の槽口(ふなくち)を試飲する新酒祭りが2月26日夜、尾道市因島田熊町の備南酒造(有)=藤本久子(79)社長・蔵元=で約250人の左党衆が集まって無礼講の酒宴に花を咲かせた。 ...(11/03/05)
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カナダの両親と再会 日本に残されたという父母への恨みと慕う心を押えながらの6年余はキミコの幼少期に"忍耐"という精神力を培われた。 ...(11/03/05)
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本紙連載中の「キミコオカノムラカミ」の中でカナダ移民家族の2世が因島田熊村立尋常高等小学校に入学、二宮金次郎の像に一礼して教室に入る描写をしたところ「二宮!」という人物はいったい何者か―という問い合わせ。 ...(11/03/05)
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第31回いんのしま健康マラソン大会(因島体育協会など主催)が2月27日、因島大浜町で行われ、島内外から380人が参加した。成績は次の通り。 ...(11/03/05)
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東生口小学校の卒業記念ジャンボ巻ずし作りが3日同校講堂で行なわれた。今年で15回目。6年生11人が直径10センチ、長さ11メートルの大巻ずしに挑戦した。 ...(11/03/05)
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時代遺跡の島(12) 因島捕虜収容所(10) 著者が福岡県宮田の収容所にいたのは1945年の6月から9月である。その時期には、日本の敗戦は確実になっており、収容所側もそのことを自覚していたはずである。著者はここで「8月1...(11/03/05)
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