因島にて… つかみかけた確信【32】

掲載号 10年07月17日号

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原田真二さんのこと(4)

 日立造船因島工場内にある内海造船を見学した夜、ある方の屋敷に招かれ、食事をしながら懇談をした。その後、原田真二さんに立ち会ってもらって、コンサート当日のバックコーラスメンバーが練習をした。

 居合わせたひとたちに彼は、「進水式を見たい。その日は日程が空いている」としきりに語りかけているのだ。私は無視した。聞こえないふりをした。私のプランにはそもそも進水式見学は入っていなかった。しかし、その会話はいっこうにおさまらない。どうも本気のようだ。

 ゲストをホテルに送り自宅に帰った私は、彼が何故、進水式出席にそこまでこだわっているのか、考えてみた。ああそうなのか。因島の造船所のなかで彼は、みずから歌いあげる「大和」を感じたのではないのか。きっと、イメージではなく、模型とは違う「大和」の実体に初めて気付いたのだ。翌朝私は、ホテルを出た車中のなかで、「進水式当日、しっかりとお迎えいたします」と約束した。

 六月下旬に出版された「幸せに生きるヒント―グローバルハーモニー―」(原田真二著、無双舎)に、次のような記述がある。

 ―今の”大和”というと「戦艦」「太平洋戦争」「攻撃」という戦いのイメージが強いと思いますが、実はまるで逆の意味で『大きな和』をつくるために大和という言葉が存在するのだと僕は思っています。

 ―実際、戦艦大和の最後の出撃も、もはや侵略のために出ていったのではない。日本にいる家族や国のために、三千余名の乗組員は平和を願いながら自分たちが盾になって、亡くなっていかれたのです。壮絶な最後の海戦で、世界最大であったあの主砲を、一発も発砲していないということも、〝大和〟という魂の名を背負った戦艦であったからなのかもしれません。「大和」こそ、まさに今の利己主義が蔓延しているこの世界に必要な心ではないかと思っています。相手を理解することからはじめる精神は、今外交に最も必要なことなのではないでしょうか。

 戦後日本は、戦争という歴史的事実を直視し、総括し、乗り越えるという方法ではなく、それを忘れることで再建の道を歩み始めた。東大法学部在学中に学徒出陣で海軍に入隊し、「大和」に乗組み沖縄特攻作戦に参加した吉田満氏は、「戦艦大和ノ最後」などの名著を残した。「戦中派の死生観」(文春文庫)では次のような見解を記している。

 ―戦後生活を誤りなくスタートするためには、自分という人間の責任の上にたって、あの戦争が自分にとって真実何であったかをまず問い直すべきであり、国民一人一人が太平洋戦争の意味を改めて究明すべきであるのに、外から与えられた民主主義が、問題のすべてを解決してくれるものと、一方的に断定した。

 敗戦によって、いわば自動的に、自分という人間は生まれ変わり、あの非合理な戦争に突入した日本人の欠陥も、おのずと修正されるものと、思いこんだ。「自分は、はじめから戦争に批判的だった」「もう戦争は真っ平だ。戦争をひき起こす権力を憎悪する」とさえ主張すれば、それがそのまま平和論になると、タカをくくった。

 吉田満氏の主張に強く魅かれる私は、原田真二さんの「大和」論に注目せざるを得ない。戦後生まれである彼は、勇気をもって戦艦「大和」の最後の状況にわが身を置き、それをしっかりと見つめ、解釈し、平和を展望する苦闘を繰り返しているように思えてならない。楽曲「大和」全編からにじみ出る「切なさ」は、きっとその内面的格闘を反映したものに違いない。

 この文章が読者のもとにとどくころには、原田真二さんの「進水式」は終わっている。その瞬間を描ける楽しみに胸を高鳴らせている。

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