人恋し喜怒哀楽も花のいろ色褪せぬまま老いてゆきたし
掲載号 09年05月16日号
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西本としゑ
「人恋し」「喜怒哀楽」が現世の象徴として扱われているのに納得できます。色褪せぬまま老いたし」とやや独り言めいた下句も初句の孤独感を補足して感情を深めています。
「人恋し」という孤独感は世聞から疎外されるなど人格を傷つけられた場合に生じがちですが、救いは現れにくいものです。たとえば僥倖をまつ宝くじなどの一攫千金の夢が叶いにくいのと同じです。
「人恋し」という言葉は人情の温かさや優しさを知るほどに「人恋しさ」は深まるでしょう。
この機微は坂口安吾の言葉を借りると「真実の孤高の文学ほど万人を愛し万人の愛を求め愛に飢えているものはないのだ」となります。この場合の愛とは自分の歌格・人格を認めてくれることとします。
人が孤独を癒すには、対話が必要です。そこで対話相手になれる条件を
- 自分をよく知っている
- 自分と同じ価値観を持っている
- 自分にない魅力的な何かを持っている人
X氏は「人恋し人」を探す専門家でした。街角で、交通機関の中で、喫茶店で、「人恋しエレジー」などを口ずさみながら、おおらかな目で周囲を見渡します。そうでなければ一杯のコーヒーを口に含みます。
やがてX氏は「人恋し人」を発見。「人恋し人」もX氏を意識しましたが、それからの成り行きは野暮天に縁のない世界です。
ところがX氏は現世には居ません。居れば真っ先に筆者を尋ねるところ、いまだに訪問がないのです。
(文・平本雅信)