地球という宇宙の星にわが住みて四畳半の部屋のベッドに眠る

掲載号 08年12月20日号

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石田冨美子

 光年という単位で語られる広大な宇宙と、四畳半の部屋に据えたベッドの狭さの比較から不思議なユーモアを感じます。そのユーモアによれば

  1. 人の想像力は無限の広がりを持っているが、現実の行動半径は想像力が作り出す広さに比べるといかにも狭い。
  2. 狭いベッドで想像すれば、アララ不思議、星から星へ、銀河から銀河へと移動できちゃった。
となり、物事の比較に無意味という考えを持ち込むことになります。

 現世での比較に限って言えば、物の大小、時間の長短といった尺度が無意味になり、たとえば「女性の年齢に無関心を装う」というエチケットも「無意味台風」の被害を受け、真善美の最たる女性美さえ影響を受けるかも分かりません。

 「無意味」というと捨て鉢に聞こえるでしょうが、時代が急変する場合には人心一新の目的で利用され、純真な市民が一夜にして嘲笑の的となる例もあります。

  1. 徳川幕府崩壊の直後、「天下様」がお可哀想と涙を流した老婆
  2. 第二次大戦の直後、教科書の特定の部分を墨で塗りつぶした筆者同年輩の体験。こうした史実は記録に止める必要を感じます。
  3. 比較無意味という例は何処にでもあって、無理が通れば道理ひっこむがそうです。
閑話休題 狭いベッドの上で、宇宙の広さを想像する快感は捨てがたいでしょう。除夜の鐘音を聞きながら「ゴオンと鳴るは鐘が鳴るやら撞木が鳴るやら聞かざア道理が分かるめエ」と所作を切っても、まんざら「無意味」ではなさそうです。

(文・平本雅信)

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