朝ドラ「だんだん」松枝40年前と変わらぬ風景

掲載号 08年11月08日号

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 NHK朝の連ドラ「だんだん(ありがとう)」の松江・穴道湖ロケは、40年前と変らぬ風景や人情を懐かしがらせてくれる。大阪本社をふり出しの転勤地のうちもう一度行ってみたいと思うのが神々の宿る出雲地方である。

 春3月。弁当忘れても傘を忘れるな―と、いわれる山陰地方。松江支局着任のタクシーの中で「大正時代から人口が増えもせず、減りもしない城下町」と運転手。そのあとの出雲ズーズー弁は、さっぱり理解できなかった。

 昭和30年代といえば、高度経済成長期。島根県辺地の中卒者の多くは「金の卵」といわれ、都会へ集団就職したが、お国訛の出雲弁を笑われ逃げ帰る少年少女も少なくなかった。こうした時代に備後工特地域は、集団就職を受け入れる側だった。造船景気で活気づいていた因島も恵まれていた。

 それもオイルショックを境に急降下。今は、景気浮上で外国人労働者が重宝がられる時代。だが世界経済は昭和5年の世界大恐慌を上回る未曾有の大恐慌が迫っていると託宣。

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