幼な時海辺の土手に芒ゆれ姉妹と歌いし夕焼けの歌

掲載号 08年11月08日号

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渡辺スズ子

 この作品は、先人が「山青く水清し」と詠み歌った昔むかしの郷土を思い浮かばせてくれます。こうした時、『こどな』(子供心を忘れない大人)は、昭和二十年代の情景を思い出します。

 作品の姉妹の例では、涼しい夕風が髪を乱し、その度に髪を直す姉の仕草が、どことなく大人びてきたと、妹は横目で確かめ、お姉さんの髪の直し方は小指を立てたりして格好いいわと思い、妹の賛嘆に姉は、ここが決め所と思うが、決定的仕草は見付かりません。

 今日はここまで、と立ち上がった姉が再び座り直し、

「夕焼け小焼けで日が暮れて  山のお寺の鐘がなるおててつないで皆かえろ  カラスと一緒にかえりましょ 」

 姉妹の細い歌声は浜風に消え、汽車の汽笛が聞こえてきました。

 妹「ねエ、「夕焼小焼」って名の駅があるかもよ。そしたら、私はその駅から汽車に乗るンだ」
 姉「バカねエ。あるわけ無いでしょ。小さい子のような言い方はやめとき」

その翌日。

 妹「ねエ、「夕焼小焼」駅はあるのヨ。A君に聞いたら、東京の八王子線に「在る」って言ったよ」

 ひとこと雑事。

 人は日の出や入日に神秘を感じ合掌します。何故か。

 A君の説では、本当の日没は目で見る八十秒後だそうです。

 人はその八十秒前後の予兆に神秘を感じ、思わず合掌するのでしょう…。

 ところで、この八十秒を八十年に変えれば、人生相談は無くなるでしょうか…

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