漢(おとこ)二千七百漬くなかりせば戦艦大和は美しきもの

掲載号 06年10月21日号

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山崎 勝代

 初句は男であってもよいところを、わざわざ難しく漢という文字を使って「おとこ」と読ませてある。ここのねらいは、この場合の男子は普通の男とは違うのだよ、と語気を強めて述べ、戦艦大和と共に特攻兵となって戦場に赴いた若者達を悼む憶いから出た一語である。漢の文字は、中国では古くは秦王朝につづく中国統一王朝を造った漢王朝の名である。日本でも漢字伝来から、漢の文字を「好漢・無頼漢」など言うように使われて来た。

 この歌の意味は理解しやすく、第二次世界大戦中を生きた者であれば誰にでもわかる歌である。しかしながら、戦艦大和の最後の姿をどのように見るかは、人それぞれで一様ではない。「若し二千七百人の将兵が死んでいなかったら」という仮定的な設定からの甘さがあるのでは、または結句の「美しきもの」には、すこし美意識が強く物足りなさを感じている人もいるだろうし、異論もある。しかし当時の日本の技術の最高を集めて建造した世界に誇る不沈艦大和と言われていた戦艦(いくさぶね)と共に果てた若き兵士ら(戦死者のほとんどは十五歳から二十六歳まで)への追憶の歌であり、献歌であるといえよう。

 昨年から呉市では「大和ミュージアム」を開催しており、尾道市向島町の日立造船の跡地では、映画ロケセット(実物大)が造られ、大勢の観客を動員した。観客の層にはそのほとんどが戦争を知らない人たちであっただけに、何を感じながら眺めたであろうか。また、このロケセットと平行して、映画「男たちの大和」の試写会が「しまなみ交流館」で開催された。

(池田友幸)

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