行政が先送りしてきた難題を民間の力で 因島フラワーセンター

掲載号 06年10月21日号

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 平成の大合併で因島市は尾道圏への編入合併の道を選び、どうしても片付けておかねばならない重要課題がいくつかあった。その中の一つに県立フラワーセンターの管理運営問題があげられる。

 1980年代に日立造船因島工場から新造船部門を撤退「島が沈む」とまでいわれた不況下に県が約20億円を投じて花き栽培産業振興と観光を目的に建設されたのが同センター。

 当時、県は1兆円産業と注目されていた花き栽培の仲間入りを目指す拠点づくりとして向島洋らんセンター、因島フラワーセンター、瀬戸田町のシトラスパークを結ぶ「園芸ベルト構想」をたちあげた。

 「しまなみ海道」の波に乗って3つのテーマパークは観光ブームを謳歌した。それも御多分に漏れず一過性に終わり赤字経営に転落。テーマパーク時代が終焉するなかで県立因島フラワーセンターは9月1日から尾道市へ移管、改名されリニューアルに着手。指定管理者を募集、行政が先送りしてきた難題を民間の力で蘇らそうとしている。

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