ふるさとの史跡をたずねて【202】常夜灯(因島中庄町寺迫)
常夜灯(因島中庄町寺迫)
明治元年になったからと言っても、今日は昨日の続きだし、明日は今日の続きであることには変わりはない。
そして、明日からは令和元年になる、と言って日本全国が同時に暦を書き換えたこの前と違って、改元が全国津々浦々まで浸透するのに、江戸時代では時差があった。それは明治元年でも同じであっただろう。
金蓮寺の資料館前にある灯明台(常夜灯)はJAの辺りにあったものだと聞くが、隣にある重井町一本松にあった岩と同様、まじないのために掘られた穴、すなわち盃状穴を保存するためにここに置かれている=写真㊤。
重井町の一本松にあったという盃状穴は111回で記したが、今回はこちらの灯明台について考えてみよう。実はこちらの製作が明治元年だからである。明治元年の年号が刻まれた常夜灯だと喜んでも、それは明治の世相を反映したものではありえない。やはり、江戸時代の延長と考えるべきであろう。だから形などをことさら問題にしようというのではない。そこの盃状穴が問題なのだ=写真㊦。
一本松の盃状穴はいつ穿たれたものかはわからないが、こちらは明治元年に作られた灯明台である。それ以前に穴が穿たれた岩を使ったとか、あるいは作られてすぐに穴が穿たれたなどということは普通には考えられないことだから、こちらの盃状穴は明らかに明治時代以降のものと考えてよいだろう。
盃状穴には陰陽石信仰と重なるものが見られることがある。それを合体して考えれば古代からの信仰ということになるが、ここのように盃状穴だけのものもまた多い。そのことに注目してみれば盃状穴信仰は意外と新しいのではなかろうか?
そして前にも書いたが、石に穴を穿つというのは産道を広げるという象徴的行為で、安産祈願のおまじないから派生発展して子授け、病気平癒、果ては女性の願いごとまで祈願するようになったのではなかろうか。三庄町地蔵鼻の鼻地蔵をはじめ、妙泰神社、淡島神社などはそれぞれ由来は異なるのに、共通して女性の願いごとなら何でも叶うというご利益が付加しているのだから、盃状穴がそう考えられても不思議はない。
そしてまた、このような派生的な考え方は江戸時代、あるいはそれ以前からあったと我々は漠然と考えているが、むしろ明治時代以降に生じた考え方であるかもしれない。
(写真・文 柏原林造)
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