空襲の子【19】因島空襲と青春群像 62年目の慰霊祭 ひとつの戦争責任論

 昨年12月27日、わたしの妻の母、埼玉県川越市の小島すみ江(享年87歳)がなくなった。妻は1週間ほどの里帰りとなったが、妻が生れた細川家の姉から、東京空襲で身内が3人亡くなったことを聞いて帰ってきた。江東区亀戸に住んでいた母と姉2人が犠牲になった。しかも遺骨どころか、生きていた痕跡すら焼夷弾が焼き尽くし、何も残っていないという。戦後、後妻の子として生れた妻は、戦後の混乱期のなかで、生後まもなく小島家の養女に迎えられ育った。


 さて新年にあたり、わたしの戦争観について述べたいと思う。今年はいよいよ62年目の因島空襲慰霊祭の年であり、当然、大勢の体験者や遺族の方々とお会いし、お話することになる。できることなら、わたしの考えをつつみかくすことなく明らかにしておきたいからである。
 わたしは20数年前、映画評論家の白井佳夫氏との映画「無法松の一生」を使った活動を通じて、その映画のシナリオを書いた伊丹万作の『戦争責任者の問題』という文章に出会った。故伊丹十三監督と、大江健三郎夫人ゆかりさんの父親である。
 伊丹万作が日本敗戦の翌年の昭和21年、結核による46歳での死の前に書き遺したこの文章の内容は、わたしの考えの根底に横たわっている。その要旨を紹介したい。
 ―多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口をそろえて、だまされていたという。私が知っている範囲では、おれがだましたのだといった人間はまだ一人もいない。
 すると、最後にたった一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間が、だませるわけのものでない。
 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりも、はるかに多かったにちがいないのである。つまり日本人全体が夢中になって、互いにだましたりだまされてたり、していたのだろうと思う。しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかったと信じているのではないかと思う。
 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最小限にみつもったら、どういう結果になるかを考えてみたい。もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによって、だまされたものの責任が解消するであろうか。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度顔を洗い直さなければならぬ。
 「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗たんたる不安を感ぜざるを得ない。「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによって、だまされ始めているにちがいないのである―。
 その時代わたしは赤子であった。しかしわたしにとっても戦争責任の問題は無縁ではないのである。もうだましたり、だまされたくないのだ。

極東国際軍事裁判で絞首刑になった東条英機首相
(続く)

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