ふたりの時代【16】青木昌彦名誉教授への返信

伝説の60年安保 中
 「私の履歴書 人生越境ゲーム」は学生運動、そのなかでも1960年1月16日の羽田闘争から始まっている。よほどの印象を残したのだろう。自身の被逮捕経験のことも披露している。


 ―反対運動を避けようと、岸首相は予定を早め、16日早朝にひそかに羽田から出発しようとしていることが前日に伝わった。そこで午後8時ごろまでには空港内には千人近い活動家が入り、空港封鎖後には外に、さらに数千人が集まった。空港内では、警察の襲撃に備えて出発ロビーへの階段に机や椅子でバリケードを築き、食堂に籠城(ろうじょう)した。出発の時間が来れば、ゲリラ的に滑走路に飛び出そういうアイディアだったのだろうが、もちろんこんなことで首相訪米を阻止できるわけがない。やがて準備を整えた警官隊がバリケードを取り払い、我々を一人ひとりごぼう抜きにし、首実験をして全学連やブンドの幹部を根こそぎ逮捕した。逮捕者は総勢77人に及び、その中の一人が私だった。建造物不法侵入と器物損壊という暴力団並の容疑だった。自分自身で袋小路に入り込んだような拙劣な戦術といえばそれまでだが、この事件で、ブンドがにわかに緊迫する政治情勢に無視し得ないプレイヤーとして登場したことは周知の通りだ。
 一方、岸首相は白バイ10台、警官隊2百60人を満載したトラック4台に守られて、玉川大橋の土手伝いに公邸から空港まで走り抜けた。マスコミの車が70台余りも追跡したそうだ。その夜逃げのような出発の姿は、晴れ舞台となるべきだった訪米意図の正当性に疑問を投げかけたといえるだろう。
 さて次に興味を引かれるのは、昌彦氏がマスコミの動向を皮肉たっぷりに紹介してことである。マスコミから、ありとあらゆる非難や中傷を浴びてきた者には、「同感、同感」というところであろうか。
 ―羽田闘争をきっかけに、マスコミは全学連やブンドの学生活動家を「ヤクザ学生運動家」(朝日新聞)、「政治的カミナリ集団」(週刊朝日)、「角帽革命の参謀本部」(週刊読売)などと罵詈雑言を浴びせた。もう活動家で角帽などかぶったヤボなのはいなかったので、この時代錯誤はおかしかった。私と一緒に現行犯逮捕された全学連委員長の唐牛健太郎は、精神的な洒落者で、ウイットに富んだ男だったので、「赤雷」と背に縫い取りした革ジャンバーを注文して悦に入っていた。
 当時の「カミナリ族」、現在の「暴走族」である。70年闘争に対しては、「暴徒」、「暴力学生」などの呼称が浴びせられ、そのうちマスコミは、「過激派」という呼び名で統一したみたいだ。
 新学期早々全学連は、警察の装甲車を乗り越えて国会正門に迫った。
 ―彼(唐牛健太郎)は新学期が始まったばかりの4月26日、国会正門に向かう大通りをブロックした機動隊の装甲車の上へよじ登って鬼気迫るアジ演説をし、そして素手で機動隊の波に向かって飛び込んでいった。何千人もの学生や労働者が彼に続いた。自分のコミットメントを表現するのに、文字通り自分自身を投げるという、彼の実存的な生きざまが共感を呼んだ。
 再び「日本史年表」(岩波書店)を見てみよう。

5-19
 政府・自民党、警官隊を導入して衆院で新安保条約と会期延長を単独強行採決(以後国会空白状態、デモ隊連日国会をかこむ)。
6-4
 安保阻止統一行動、国鉄など早朝スト、全国で560万参加。
6-10
 米大統領新聞係秘書、羽田でデモ隊に包囲さる。いよいよ安保闘争は最大の高揚へと向かうのである。

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