ふたりの時代【4】青木昌彦名誉教授への返信

善は急げ 下
 青木昌彦名誉教授のルーツについて考え、調査をしていて独特な親近感が生まれてきたようだ。後に青木廣光氏に説明していただくことになるのだが、昌彦氏と私は、どのような繋がりになるのか、漠然と考えるようになった。そのような想いが芽生えるなか年が明けた1月9日、私のもとに、第2回VCASI(ヴィカシ)フォーラム開催の知らせが、東京の事務所から届いた。


 テーマは、「移り行く資本主義Ⅰ―コーポレート・ガバナンス(会社統治、筆者註)と人的資産」。開催日時は、一月十八日(金)十五時-十八時三十分。場所は、日本財団ビル二階大会議室である。発表者は、サイモン・ディーキン(ケンブリッジ大教授)、青木昌彦(スタンフォード大名誉教授)、鶴光太郎(経済産業研究所上席研究員)、池尾和人(慶應義塾大教授)、宮島英昭(早稲田大教授)、守島基博(一橋大教授)と、列記されている。
 VCASIとは、昌彦氏が最近始めた「仮想的制度高等研究所」である。氏の説明によると、経済学、社会学、政治学、心理学、法学など様々な分野の最前線にいる学者が、インターネットを通じ時空を問わず交流できる仮想研究所をめざす、とある。
 こうした時に「善は急げ」精神ほど頼りになるものはない。あつかましくも「出席します。そのうえで青木昌彦氏に直接お会いしたい」と、申し込んだのだ。フォーラムの翌日の日、都内で会っていただくことになった。
 当日の18日、東京駅に着くとすぐに八重洲口に向かった。八重洲ブックセンターで昌彦氏の代表的な著作のひとつである「比較制度分析に向けて」(2003年、NTT出版)を購入した。そして充分に時間的な余裕をもって会場に向かったが、ここで思いがけないことに気付くのである。会場は、道路をはさんで特許庁のほぼ真向いにある。地下鉄の国会議事堂前駅で下車して徒歩で行こうとした。このあたり一帯は、東京時代の私には「職場」でもあり、いりびたった区域である。しかし、なかなか目的地に着かないのである。警備の警察官に三度も道を尋ねる有様で、危うく遅刻するところであった。
 フォーラムの会場に入るや、また難問にぶつかってしまった。同時通訳イヤフォンの装着の仕方が分らないのだ。とにかく見よう見まねでつけ終え、集中するにはしばらく時間を要したが、青木昌彦氏の講演を落ち着いて聞くことができた。だが、「この人か。でも、よくもずうずうしく、こんなところに来たもんだ」などと、ためらいの気持ちは消えなかった。
 会場をでたところで偶然、昌彦氏に出会った。「青木です。明日よろしくお願いいたします」と会釈して、夜の街にでた。食事のために虎ノ門から新橋に向かったつもりであったが、また一苦労が待ち受けていた。この区域もお馴染みの場所のはずであった。しかし、いくら歩いても懐かしの新橋駅に到着しないのだ。こうして大半のエネルギーを場所探しに費やしてしまった次第である。
 翌日の午前8時、都内のホテルで、昌彦氏とお会いすることになった。黒のオーバーコートを着た昌彦氏が待ち合わせのロビーに颯爽と現れた。「やはり、かっこいいな」と引き込まれてしまいそうだった。
 食事をいただきながらの約1時間半の会話だった。不思議なもので、初対面なのに全学連の先輩と後輩が話しているようなムードに終始した。時間や空間の隔たりなど一瞬にして溶解してしまうような空気が、漂っている気がした。数々の奇遇のなかで迎えた面会であったが、「私が全学連で最初に就いた役職は先生と同じ情宣部長でした」と告げると、昌彦氏もさすが驚いたようだった。
 ふたりの縁は、自身考えこんでしまうほど、偶然か必然か、複雑に絡み合っている。やがてそのことに想いを馳せることになる。
(青木忠)

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