ふたりの時代【2】青木昌彦名誉教授への返信

善は急げ【上】
 この数年間の私の行動原理は実に単純で、「善は急げ」である。荷の重い課題に取り組む場合にはとりわけそうだ。まず、世界的経済学者である青木昌彦スタンフォード大名誉教授のイメージづくりに取りかかった。


 フリー百科事典「ウィキペディア」から始めた。

スタンフォード大学は米国カルフォルニア州スタンフォードに本部をおく私立大学。一八九一年に創立され、校訓は、「自由な風が吹く」。サンフランシスコから約六十キロ南東にあり、シリコンバレーの中心に位置している。
 東のハーバード、西のスタンフォードと言われるように、米国屈指の名門校として世界にその名をとどかせる。東海岸の三大名門校、ハーバード大学、イェール大学、プリンストン大学とともにBIG4とも称される。

 さらにウィキペディアは昌彦氏について次のように説明する。

経済学者。専門は比較制度分析。一九九〇年日本学士院賞。スタンフォード名誉教授、京都大学名誉教授、中国人民大学名誉教授。二〇〇五年国際経済学連合次期会長選出。比較制度分析において国際的に知られ、ノーベル経済学賞の受賞の可能性が最も高い日本人の研究者の一人であると、しばしば指摘されている。

 国際経済学連合(IEA)について、昌彦氏の近著「私の履歴書 人生越境ゲーム」には次のような注釈がつけられている。一九五〇年にユネスコの提案によって、NGOとして組織された。各国の経済学者の組織を代表する各国の学会の連合体で、現在その加盟団体は六十に上る。日本の加盟団体は日本学術会議である。
 IEAは現在、六月二十五日から二十九日まで、トルコのイスタンブールで第十五回大会を開催中で、青木昌彦会長が正式に誕生する。任期は三年間である。事実上これで経済学者として世界トップに立ったことになる。
 確か十一月十三日の午前中であった。かつてなく厳粛な面持ちで青木昌彦氏の東京事務所に電話を入れた。因島椋浦町の秋の大祭は十月二十八日の日曜日のことであったから、突然の申し入れから二週間後のことである。「町の方々の要請をうけて電話をさせていただいております」と言い、日経新聞「私の履歴書」【6】の記述について、直接お話を伺いたいと申し入れた。そして個人的なことですがと前置きし、「六十年安保の先生のことはよく存じ上げております。私は七十年安保の全学連ですが」と付け加えた。
 返事は電撃的だった。その日の午後、スタンフォードからメールが届いた。これが姫岡玲治(一世風靡した当時の青木昌彦氏のペンネーム)かと、思った。調査にとって重要な手がかりになることが記されてあった。それに従って、町の有力者の助言をうけながら調査をした。幸いなことに青木昌彦氏の記憶をより正確に裏付ける資料が、地元に揃っていることが判明した。翌日、スタンフォードに次の趣旨のメールを送信した。
 ―先生のメールに従って、地元の方と相談しながら調査をいたしました。その結果、ほぼ完全に判明いたしました。先生の祖母・青木ていさんは、尾道市因島椋浦町出身の青木忠右衛門の娘さんであると断定してよろしいかと、と思います。
 忠右衛門さんは、徳川幕府軍船・美嘉保丸船将であります。その碑と修復された碑台座が因島椋浦町に現存します。この碑文をお書きになった青木廣光さんからお話を聞くことができました。鎌倉の青木とらおさんが因島に訪ねてこられ、タクシーで長男さんが碑に案内したところ喜ばれたそうです。
 約2時間後、スタンフォードから、「断定してよいですね」との返事と「できるだけ早い機会を見て因島におじゃましたい」という返事が届いた。思わず「おめでとうございます。大歓迎いたします」と返信のキーを叩いた。
(青木忠)

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