世界的経済学者・スタンフォード大学 青木昌彦名誉教授 祖先訪ね因島椋浦町へ

ノーベル経済学賞の可能性が最も高い日本人研究者のひとりと言われ、来年から国際経済学会連合の会長に就任する、米国スタンフォード大学・青木昌彦名誉教授が、祖先を訪ねて尾道市因島椋浦町を訪ねる意向であることが分かった。

青木昌彦名誉教授
青木昌彦名誉教授

その発端となったのは、10月6日の日本経済新聞。青木名誉教授は、同紙で連載中の「私の履歴書」【6】で「父方の祖母は、『日本最大の海賊』とか『大海原を制したサムライ』といわれた村上水軍の末裔(まつえい)だ。日本中世の瀬戸内海を制した村上水軍が拠点にしていた因島で生まれた」と書いた。

それを読んだ椋浦町の読者から、「その祖母は椋浦の出身に違いない」という声が上がり、調査が進むとともに、在米中の青木名誉教授との交信が始まった。

その結果、曾祖父が椋浦出身の青木忠右衛門で、その三女テイが祖母であることが判明した。そしてその事実が伝えられ、青木名誉教授から「断定してよいですね。出来るだけ早い機会をみて因島におじゃましたい」という趣旨の電子メールが椋浦町に届いた。

文献的な根拠になったのは、平澤文人著「千石舩椋之浦」の「忠右衛門の軍艦美加保丸遭難」の項の次の記述である。

―運よく遭難で助かり、愛する人を娶り、椋浦へ帰って三女を授かった。が、その後がいけない。長女は幼く失い、自分も四十五才で病死、続いて二女、妻も死に、独りとなった三女テイは、母の実家を訪ねて上京した。

青木忠右衛門は徳川幕府軍船美嘉保丸の船将であった。その碑は因島椋浦町に現存する。その碑台座が忠右衛門の子孫7人の手によって新築された。また「因島市史」(青木茂編)は、「幕船艦長青木宗作」で詳述している。

青木忠右衛門の碑
尾道市因島椋浦町にある徳川幕府軍船船将青木忠右衛門の碑

青木昌彦
1938年名古屋市生まれ。60年東大経済学部卒。60年安保闘争の全学連指導者。その後、東大大学院に進み、近代経済学に転じた。現在、米国スタンフォード大名誉教授。専門は比較制度分析で、その分野での世界的評価は高い。
青木昌彦氏のホームページはこちらから

碑台座
昭和58年1月吉祥日
碑台座新築する
建立者 忠右衛門の子孫
青木 博 青木 勝 青木一己 青木廣光 青木松夫 青木桂一 青木 茂
徳川幕府軍船美嘉保丸は慶応元年六月オランダより購入した三本マスト八百頓機帆船(ブランボルグ号)で当時としては優秀な艦船であった 之に乗り組み幕末期縦横の活躍をした 船将青木忠右衛門は榎本武揚に率いられ他艦隊と行を共にし北海道に新天地を樹立する目的をもって慶応四年八月二日品川沖を抜錨第一終結地奥州陸前松島港に向け航行の途次下総国銚子浦沖にて大時化(台風)遭遇難破黒生浦に漂着すると「復古記」に記されている 因に艦隊編成は開陽丸を旗艦として回天幡龍長鯨千代田神速咸臨美嘉保丸の八隻であった

船将青木忠右衛門(壮年名茶屋宗作)は当椋浦の出身である。

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