空襲の子【49】因島空襲と青春群像-巻幡家の昭和-公職追放を越えて 総力戦と大政翼賛会(中)

 「広島県戦災史」は、「戦時体制の確立」のまとめで次のような結論を導いている。

―明治以降に国民がうけた国家主義的・軍国主義的教育の土壌のうえに、戦時下において多くの県民は、情報から目かくしされ、戦争遂行に協力させられるなかで自主的な判断力を奪われていたのである。

 果たしてそうだろうか。国民はそれほど戦争に対して受身的であったであろうか。むしろ戦争に積極的であったからこそ満州事変から始まる年戦争の継続がありえたのではないだろうか。それは尋常なエネルギーではない。それは、国民が分裂していては生みだされないものであり、国民の結束がいかに強かったかの証左であろう。
 例えば、満州事変の勃発に対して民衆の熱狂ぶりは予想をこえていた。それがピークに達するのは、リットン報告書公表から日本の国際連盟脱退にいたる時期である。国際連盟が派遣したリットン調査団は、満州事変を日本の侵略と認定したうえで、日中間の新たな条約締結を勧告した。結局日本は国際連盟脱退の道を選択した。
 県当局の主導でリットン報告排撃広島国民大会が開催された。講師は事変勃発時の関東軍司令官本庄繁中将、会場の西練兵場には5万人の聴衆がつめかけ、熱狂した。さらに福山市民大会、呉市民大会などがつづいた。
 因島地域に目を移してみよう。資料はとぼしいが、写真集―明治・大正・昭和―因島(中島忠由・岡本馨共著)に10枚の写真が収められている。いずれも戦時下の民衆の姿を写した貴重な写真である。

  1. 満州・上海事変の頃であろうか、土生町のある寺院での戦没者慰霊祭。町長自身が弔辞を読んでいる。
  2. 昭和12年、南京陥落に沸き立つ住民の武運長久を祈る提灯行列。2枚
  3. 昭和12・13年年、出征する兵士を海岸まで見送る三庄小の児童たち。2枚
  4. 昭和13年、応召する在郷軍人たち。
  5. 昭和13年、武漢占領を祝う戦勝記念三庄記念大会。
  6. 昭和13年、三庄町五柱神社での戦勝祈願町民大会。
  7. 三庄町での国防婦人会の防火訓練。
  8. 土生高等女学校での軍事訓練。

 因島における戦時体制確立にとって、象徴的な出来事は、やはり総同盟の牙城であった因島労働組合の解散である。総同盟は昭和年7月、中央委員会を開き正式に解散を決定した。それを受けて13日、因島労働組合は解散を決議した。
 解散式は8月11日、労働会館で行なわれた。創立より約20年間、総同盟の旗を守りつづけた因島労働組合は消滅した。組合のすべての事業は会社に引き継がれ産業報国会が組合にとってかわった。戦局はいっそう泥沼と化し、太平洋戦争へと向かうのである。
 こうした国民総動員体制確立の過程をどのように理解するのかによって、戦争に対する責任の問題のとらえ方が大きく変わってくることになる。つまり、他の人に騙されて戦争に動員された国民は誰一人としていなかったのではないだろうか。
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南京陥落に湧き立つ三庄町の提灯行列

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