瀬戸田の谷本家所蔵秀策自筆の扇面 本因坊秀策記念館に寄贈申し出 漢詩に託したプロ棋士の心構えか

尾道市因島外浦町の碁聖本因坊秀策生誕の地に隣接する「本因坊秀策記念館」(仮称)の建設は来年3月末完工、9月オープンを目指しているが、曾祖父が秀策の弟弟子だったという同市瀬戸田町、谷本篤さん(63)から秀策自筆の扇面を寄贈したい―とこのほど同市へ申し出があった。

谷本篤さん
谷本篤さん

―因島出身で、幕末の天才棋士、本因坊(跡目)秀策直筆の漢詩が書かれた扇面が広島県豊田郡瀬戸田町(現尾道市)で見つかったから鑑てほしいと当時、広島銀行に勤めていた谷本篤さんから連絡があったのは平成6年5月のことだったと記憶している。

物置から持ち出されたのは絵や詩が書かれた扇面や短冊が表装された6枚つなぎの六曲一隻のびょうぶ。その中の一つに秀策自筆の次のような漢詩が書かれた横44センチ、縦14センチの扇面があった。

〔註〕罷(ひ=やめる)奩(れん=鏡、香箱などの入れ物。ここでは二つの小箱・黒と白の石を入れる碁笥・ごけ)ひょう=たいら(ひょう=たいら・碁盤面)き・かける(き・かける)丁巳(安政4年・1857)

「戦い止みて両奩に黒白を収む一ひょう=たいらいずれのところにか戯成あらん」

とでも読めばいいのだろうか。

秀策実像伝える貴重な資料

この漢詩は丁巳晩夏とあるから安政4年夏のおわりで、秀策4回目で最後の帰省のとき。谷本さんの曾祖父兼次郎(天保8年―明治38年)は、若いころ江戸・本因坊家で囲碁修業、同郷同門ということで秀策より9歳年下の弟弟子として目をかけられていたと思われる。

詩文は「戦いが終わり、二つの小箱(碁笥=ごけ)に黒と白の碁石が片付けられる。碁盤の平らな表面にはどこにも傷ついたり、欠けたりしている所はありはしないか…」と棋士としての心がけを示唆したと理解すればよいのだろう。中国の詩を引用したのか、秀策の自作かは不明である。

対局が終って、心静かに碁盤を見渡すくらいの気配りが大切だという意味に汲み取れば、若くしてこの世を去った秀策の実像を伝える貴重な資料といえよう。

このほか、同じびょうぶに秀甫(十八世本因坊)が書き贈った扇面の俳句

と前置き

がある。

兼次郎は19歳で瀬戸田に帰郷、本因坊家から二段の免状を贈られ備後地区をはじめ安藝、備前で囲碁普及に努め秀策の後援者であった尾道の豪商橋本吉兵衛や秀策顕彰に奔走した石谷広策五段からの香料、手紙が残っている。

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