追悼・青木廣光画伯 描き続けた102年の生涯 因島美術界を牽引
長年にわたり尾道・因島の美術界を牽引してきた青木廣光さん(尾道市因島田熊町)が5月13日、死去した。享年102歳。
故岡崎勇次さん(画家・因島土生町)との出会いをきっかけに油絵・水彩画を描き続けた。日展会友、光風会会員であり、広島県東部地区の最古参として指導にあたってきた。また尾道市美展審査員を昨年まで務めていた。
因島では、2014年7月ギャラリー喫茶ブラームスでの三人展、水彩画教室中水会の指導と発表会への賛助出品、2022年8月カフェテラス菜の花や坂井文具店での個展など意欲的に活動。特に光風会展には100号サイズの油絵を100歳まで毎年出品してきた。日展入選作品は40に及ぶ。
1958年(昭和33)、青木さんが開いた絵画教室の第1期生(当時小学1年生)だという坂井文具店の店主坂井邦明さんは「亡くなる1ヶ月前に、筆を握らないと描けなくなるからとスケッチブックを買いに来た。白寿(99歳)を記念した展示会をしたが、100歳記念はできなかったのが残念です」と話す。
ブラームス三人展を行なった大橋博さんと舟橋康夫さんは次のように語る。
- 大橋博さん「長年にわたり因島の美術界をリードしてご指導・ご貢献されてきた方であり残念です。ご冥福をお祈りいたします。」
- 舟橋康夫さん「残念でならない。まだ心の整理がつかない。厳しかっただけに拍子抜けする。毒舌がもう聞けなくなるかと思うと寂しい限りです。」
青木氏画歴
- 1955 光風会展初入選
- 1957 日展初入選。広島県美展特選。
- 1965 広島県代表作家展招待
- 1970 国立弓削商船高専美術科講師
- 1972 光風会会員推挙
- 1975 スペイン、イタリア、フランス(スケッチの旅)
- 1976 日展会友推挙
- 1979 広島県美術審査員委嘱
- 1980 ギリシャ(スケッチの旅)
- 1985 ドイツ(スケッチの旅)
- 1992 広島画家100人展招待
- 1996 第82回光風会展光風会会員賞
- 1997 第83回光風会展審査員
青木さんは常に「絵を描くこと」の大切さを訴えてきた。本紙の2011年新春インタビューで次のように語っている。
―絵を描き始められたきっかけは。
シベリア抑留から帰り、1949年(昭和24)から土生中学校に事務職として勤務したときに岡崎勇次先生に出会い、すすめられた。
―その後はどうですか。
岡崎先生の影響で油絵を始めた。まもなく土生中で開催された瀬戸内美術展に出品。1953年県美展初入選。55年光風会初入選、57年日展初入選とつづいていきます。
―描くテーマについて。
漁村の風景を描きつづけてきた。一本釣り漁師に哀愁を感ずる。毎日のように因島土生町・箱崎の港で描いたときもある。「繕ろう」という絵=写真=は、青森県・深浦漁港で働く漁師の姿をとらえたもので、思い出深い。
―先生にとって絵を描きつづけることとは。
絵を好きになるということに尽きる。観る人が心を動かしてくれる作品をつくりたい。
―写生旅行に行かれるのですね。
国内外を問わず、観光地でないところを選んで行ってきた。そこではデッサンのみをして帰り、そのときの感動をどのように表現するか、構図を考え作品に仕上げる。その旅行で描きつづけたスケッチブックも千冊にもおよび、積み重ねると高さが162センチにもなった。
―現在、創作中の作品はどのようなものですか。
「晩秋」3部作の3作目に取り組んでいる。1作目は光風会に出品。2作目が昨秋に日展に入選した=写真。現在のものは、3月の光風会展に出そうと考えている。
―今年(2011年)の抱負は。
「白」の世界を追って雪景色を描いてみたい。滋賀県の余吾(よご)湖畔の風景を絵にするために、すでに7回の写生旅行をした。自分で絵を描きつづけることで、後進を育て、情操教育がいかに大切であるか伝えていきたい。
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