続・井伏鱒二と因島【5】その作品に表現された「因島」

(2)「因島半歳記」・「鞆ノ津付近」

井伏は回想記・随筆の類の中で因島を牧歌的風景としてとらえている。しかし大正十一年に因島を後にして三十年以上も経過した頃、『市政』に「因島半歳記」(昭和33〔1958〕年8月15日)を発表した。また、『世界の旅・日本の旅』に「鞆ノ津付近」(昭和35年〔1960〕年)を発表した。


この二作品で、それまでの回想記・随筆の中にはなかった因島の繁栄する造船や賑やかな歓楽街について具体的に触れている。(しかし、それまで「岬の風景」や「(月)肋集」にはそれを感じさせる表現がある)

私は三ノ庄町にゐるとき土井さんといふ医者のうちの二階にゐた。近所の人は私のことを入院患者だと思つて遠慮してくれたので、私も病人のやうに海岸や岡を歩きまはるには好都合であつた。この町には港のわきに相当な規模を持つた造船所がある。海沿ひの岡を超えると土生町といふ港町があつて、ここは三ノ庄の三倍も四倍もの人口で、更に大規模な造船所や船渠(注 ドック)がある。内海を行く汽船がこの港に寄るときには、岬の突端に船体を見せると同時に合図の汽笛を吹き鳴らす。港に寄らない汽船は何の合図もしないで通りすぎて行く。この港に立ち寄る汽船は修理を目的としてゐるやうである。たいてい船渠に入れられて、修理がすむまでの一週間か二週間は船員が上陸して金銭を無駄づかひする。だから汽船が岬の突端で汽笛を鳴らすかどうか、港の人は固唾を呑む思ひであるようだ。そこで汽笛が鳴ると、宿屋では大急ぎで部屋の掃除をして活花を取りかえる。料理屋では浜の生簀(いけす)へ魚を取りに行く。医者は注射器の熱気消毒に取りかかる。芸者は急いで銭湯に出かけて行く。俄然町ぢゆう活気を帯びて来る。私はこの島にゐた六箇月間に、汽船の進水式を土生の船渠と三ノ庄の船渠で一度づつ見た。万国旗で飾られた船が海に出て行くところは素晴らしい。当日は大勢の人が見物にやつて来て、新造船の甲板からお祝ひの餅投げをするのを待ってゐる。船が動きだす直前に餅投げが開始される。一見、歌舞伎座で俳優が舞台から見物人に手拭を投げるときの光景に似通つてゐる。

『因島半歳記』(新全集第20巻323~324頁)

(石田博彦)

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