続・井伏鱒二と因島【2】その作品に表現された「因島」

 1929(昭和4)年に発表された『初夏巡遊案内』に井伏は因島を次のように紹介している。

因島
 古書には院島と記されたり。
 ここは、柑橘樹の丘つらなりて一島をなす。風なき日に蒸汽船、この島の岬を過ぐれば、甲板にても花の匂ひを聞き得べし。
 和冦の砦、今は存せず。本城の址は柑橘の花咲きにほふ丘となりて、つはものどもを想ひ耽るの情懐をそそらず。徒らにわれらが旅愁を齟齬せしむるのみ。出城の址は細長き岬の突端にありて、一ふでの麦畑となりて存す。黄色に熟したる麦の色と紺碧の潮の色との調合また絶可にして、産後の雲雀は岬の突端にあたりて上空高く舞ひあがり、囀ることしきりなり。木津川丸この岬をめぐりて汽笛をならせば、午後三時と知れよかし。
『初夏巡遊案内』(新全集第1巻395頁)

 大正十一年の帰京以降、井伏が「因島」に触れる際、『岬の風景』に表現された鬱屈とした心情は見られない。むしろ「居心地がよかった」「住み心地がよかった」と表現されている。

 かつて瀬戸内海の因ノ島に行つたときには、十日か二十日の予定で出かけたが七箇月間も滞在した。私は因ノ島の三庄港に殆んど定住しかねない状態であつた。さうしてこの港町の町会議員や船頭や医者や船大工や理髪店の主人と仲よしになった。そんなに居心地がよかつたのである。
『島雑話』(新全集第6巻487~489頁)

 私は学生のころ因の島に一週間ほどゐるつもりで出かけたが、あまり住み心地がいいので一週間が一箇月になり六箇月あまりゐた。九月から翌年三月まで、まことにのんびりした気持ちで日を送り、おかげで東京で味はつた不愉快な記憶を忘れることに成功した。
『郷土大概記』(新全集第9巻272頁)

 また、井伏にとって「因島」は瀬戸内海の中でも特別な島でもあった。

 私は瀬戸内海の幾つもの島のうちで、因の島といふ島を愛好する。そうして多くの港のうちで、私は尾の道を愛好してゐる。
『私の愛好する島や港』(新全集第3巻192頁)

(石田博彦)

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