続・井伏鱒二と因島【14】その作品に表現された「因島」

涌田氏は、芙美子の書簡にしては余りにも金銭的なことが表に出すぎているとし、本当に井伏のほうから弐拾円でいいといったのだろうかと疑問が残ると述べ、昭和六年という年が秋の渡仏のことにからんで、特に"金銭"が芙美子にとって切実な問題であったと推定する。この旅の目的は集金であったことは明らかで、講演はその一つの手段であったとする。


ところで28日の講演会は芙美子の側の事情による日程で、井伏は従、29日の墓参は逆に井伏の側の事情による日程で、林芙美子は従であったという旅の実態である。つまり、同じ旅をしていても、日によって男女の主従の関係はぐるりとひっくり返るという旅であったと指摘する。

涌田氏が「コマツさんの慰謝料集金旅行」と「〈私〉の下宿代集金」の2面からまとめた表(下)を掲載したい。

image013

上記の表で歓迎会の行われた場所と宿舎が尾行をまくための宿の移動に変形して用いられ、翌日の仏事のための因の島行きは、小説では加茂の鶴屋幽蔵宅の祖父の葬儀に変形されている。旅の途中から二人をつけまわす箕屋官次は、途中から加わった横山美智子の変形だとする。

(石田博彦)

[ PR ]因島で家の解体のことなら「吾城」へ

当社には家の解体専門の部署があり、お客様のご希望に合わせた、よりよい施工内容をご相談・ご提案させていただいています。

空き家になった時のそのままの状態で、家具や食器、衣類などの処分から、解体後の用途に応じて砂利敷きや、アスファルト舗装等の工事までを一貫して施工します。

丁寧かつ迅速な施工で、因島はもとより島嶼部や尾道近郊においても、幅広く、ご好評いただいております。

【対応住宅】
木造住宅 / RC鉄骨 / 軽量鉄骨住宅 / アパート / 工場 / マンション

【お問い合わせ】
有限会社 吾城(ごじょう)
広島県尾道市因島重井町5800-42
TEL0845-26-2282