空襲の子Ⅱ【44】十年間の調査報告 日本郵船の決断(2)

 私が「日本郵船戦時船史」を知ったのは、五年前のことである。因島空襲の犠牲者である楠見高行さんの長男啓二さんを三庄町千守の自宅に訪ねたときである。その場面を「空襲の子」~因島空襲と青春群像(34)に記した。

―仏壇のある応接間に通されたとき、並んで掲げられた遺影に目がいった。亡き楠見高行さんを見当つけて探した。しかし、左隣りのふたりは誰だろうと、ふと思った。その時、「ふたりは叔父です。4人兄弟のうち3人が亡くなりました」と、楠見啓二さんの声がした。わたしはすっかり狼狽してしまった。予期しないお話にうろたえてしまったのだ。(中略)
 1週間後、2度目の取材で楠見家を訪ねた。応接間の机の上には、「日本郵船戦時船史」上巻が置かれてあった。
 叔父・松之丞さん(三男)は、弓削商船出身。日本郵船所有の陸軍徴用船・香取丸の3等機関士。太平洋戦争開戦まもない昭和16年12月23日、ボルネオ・クチン沖上陸作戦遂行中、兵員などを乗せた香取丸が魚雷攻撃を受けて戦死。享年27歳。戦死により二階級昇進。
 叔父・儀一さん(四男)は弓削商船出身の船員。乗船していた船が触雷し、死亡。昭和20年6月29日、山口県周防灘での出来事であった。享年27歳。船舶史に詳しい中村公巳さんの話によれば、乗船していたのは、日産汽船の第一日祐丸であるという。

 「戦時戦史」は船舶ごとに詳述している。香取丸について見てみよう。まず基本情報が提示されている。

船種 貨客船
総トン数 9849トン
長さ 149.35メートル
主機 レシプロ2基、タービン1基、最大11.499馬力
速力 14ノット
竣工 大正2年9月9日
建造所 三菱合資 三菱造船所(長崎)
徴用種別 陸軍期間傭船
遭難日時 昭和16年12月23日午後10時33分ごろ
遭難地点 ボルネオ島北西岸クチン沖、北緯1度55.8分、東経110度13.2分
遭難状況 上陸作戦中、潜水艦の雷撃を受け12月24日午前0時ごろ沈没
搭載物件 陸軍部隊、隊属貨物
船団名 不明
僚船 北海丸、日蘭丸、日吉丸、第二図南丸、第二雲洋丸
護衛艦船 駆逐艦狭霧、白雲、第三、六号掃海艇、その他
作戦 名 英領ボルネオ攻略作戦

 本文は最初に、楠見松之丞さんの戦死を伝えに社員の佃慶三郎が三庄町を訪れた様子を記している。つづいて、欧州航路リバプール線の第一船であった香取丸が、陸軍徴傭船として戦地に向かい、魚雷攻撃を受け、沈没する状況が書かれている。主席三機楠見松之丞、船医坂倉慶房及び機関助手森長吉ら10人が行方不明になった。乗組員生存者130人は、台湾高雄を経由して宇品に帰還した。
 太平洋戦争が始まって十六日目、日本郵船としての最初の遭難船となった。昭和18年3月17日、広島市宇品で第1回合同慰霊祭が行われた。
 最後に乗組員名簿が掲載されている。10人の氏名の下に戦死という文字が記入されている。
(青木忠)

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