空襲の子Ⅱ【43】十年間の調査報告 日本郵船の決断(1)

 戦災に対して、日立造船と日本郵船は正反対の対応をとった。日本郵船は1971年(昭和46)5月、大きな決断のもとに会社の総力をあげて「日本郵船戦時船史」を刊行した。上巻千ページ、下巻913ページ、合わせておよそ2千ページになる。


 序において同社の児玉忠康会長は、刊行に込めた想いを次のように述べている。

―太平洋戦争によってわが国の海運界は壊滅的な打撃を受けたが、わが社も社船の大半を失い、同時に数多くの優秀な乗組員を失った。このことはわが社80有余年の歴史の中で忘れることのできない痛恨事である。戦後既に四半世紀を経過した今日、これらの事実も次第に人々の記憶の中から遠ざかり、また当時の貴重な資料もほとんど入手し難くなっている。これらの史実を正確に記録し、わが社の歴史の一頁として永く後世に残すことは、共にその時代を経験して来た私どもに課せられた義務であろうと思う。
 そこで昭和40年秋「戦時船史編纂委員会」を設け、爾来営々として編纂の作業を続けて来た。何分戦争という非常時のことであり、当時の資料の多くは散逸し、その渉猟蒐集は困難を極めたが、幸いに各方面の多大のご協力によって、ここに漸くこの一大記録を上梓し得る運びになった。

 さらに同社の有吉義弥社長は「追悼の辞」を寄せ、次のように記している。

―太平洋戦争を通じて、わが社が失った乗組員の数は、実に4143人の多数にのぼる。これは大戦中に失った社船百81隻の大損害にもまして、私たちには痛恨の衷しみであった。私たちの先輩、同僚、そして若い友人たち、その人たちが如何に壮烈に、そして如何にかなしくも船と運命を共にしてゆかれたか、それは本書の一船一船の記述が詳細に語っているであろう。

 同社が戦災の記録書を作成したいと考えたのは、戦後間もなくのことだという。しかし、会社再建などの困難を解決しなければならない時期と重なり、刊行が具体化したのは戦後20年を経てからであった。また、戦後合併した三菱海運の前身である三菱汽船の所属船をも含む記録書にすることになった。
 海務部長を委員長に、社内各部から編纂委員20人が選任され、同事務局も設けられた。執筆者には相模女子大学の森安理文教授を委嘱した。本書の編纂にあたって整理した各船の海難報告、遭難事情聴取書などを別冊「資料集」としてまとめた。
 編纂委員会は「発刊にあたって」で、同書に収めた記録について次のように説明している。

―本書に収めた各船の記録は、日本郵船237隻、三菱汽船48隻の他に日本郵船所属の小蒸汽船、機帆船などを加え、計282編に及び、戦没者数は日本郵船4143人、三菱汽船487人、更に他社よりの派遣者、徴用による乗組員など、87人、計4717人の多くにのぼっておりますが、各船ごとに遭難前後の状況や、その活躍を確実な資料の中でとらえ、その再現化に努力しました。

 本書は、戦没された諸氏のみ霊の前に供える私どもの敬虔な挽歌であると同時に、海上輸送任務に従事した人びとの体験をとおしてみた貴重な戦史でもあると自負しております。
 私が「日本郵船戦時戦史」を知ったのは、2007年春、三庄町でのことであった。
(青木忠)

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