【卒業論文】ミュージシャンと故郷の繋がり「ポルノグラフィティと因島」(5)
高校文化祭で「ノースコア」結成
ポルノグラフィティ誕生のきっかけは、彼らの高校生時代に遡る。岡野さんと新藤さんは因島高校へ、白玉さんは愛媛県の弓削商船高等専門学校という5年制の学校へ船で通っていた。新藤さんがヴォーカルとして因島高校で結成されたバンド「ノー・スコア」に、高校2年生の秋の文化祭の時に、岡野さんがコーラスで参加した。その後、岡野さんがヴォーカルに、新藤さんがギターに転向し、3年生の春に新入生歓迎会で岡野さんはヴォーカル・デビューを果たした。同年の秋の文化祭では、受験勉強が理由で抜けたベースの代わりに白玉さんが参加する事となった。他にもメンバーはいたが、これがポルノグラフィティの原型である。ところで、当時の彼らの音楽環境は良いとはとても言い難いものであった。因島には楽器屋、ライブハウスがなく、レコード屋が3つほどあるだけだった。バンドをやっている人もあまりおらず、教えてくれる人がいないので、手探りで自己流の練習をしていたそうだ。
統廃合でなくなった旧因島高校校舎
岡野さんと新藤さんの高校卒業後はそれぞれ別の進路を歩む事となったが、94年春に3人を含むノー・スコアのメンバーが大阪で再会した。バンドに対する意識の違いやモチベーションの差から2人が脱退し、新しくドラムが加わって4人でのバンド活動を開始した。
同年の秋には、ライブハウス・梅田バナナホールで、ポルノグラフィティというバンド名で初のライブを行った。
その後しばらくは練習とライブを数多く積み重ねていき、バンドの力を着々とつけていった。途中挫折を味わって解散を考える時期もあったが、97年3月に受けた「ソニーSDオーディション」で数人のディレクターから声がかかり、バンドを続ける事となった。同年5月頃に事務所が決まり、9月には大阪を出て上京した。
約2年後の99年9月8日、シングル『アポロ』をリリースし、ポルノグラフィティはメジャーデビューを果たした。『アポロ』はオリコンチャート最高5位を記録し、約42万枚のヒット曲となった。
名古屋市立大学人文社会学部国際文化学科 長神有紗(阪井ゼミ卒論文集より)
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