ふるさとの史跡をたずねて【165】重井村四国八十八ケ所(因島重井町)

重井村四国八十八ケ所(因島重井町)

因島重井町の重井村四国八十八ケ所のうち特別に立派なのが55番南光坊である。その立派さから、私は重井町の人たちが南光坊へお参りしていた講を思い出した。

別宮山南光坊は四国の人たちがわざわざ大山祇神社へ船でお参りするのは大変だから、四国の地に勧請したことに始まる。だから重井町から毎年別宮山参りの船を仕立てお参りしていた理由がわからない。何も来島海峡の急流を横切って今治までお参りしなくても、本家本元の大三島の大山祇神社にお参りすればよいではないか、と思っていた。ところが最近南光坊にお参りして、寄付石に重井の人のみならず、因島の多くの人の名前があることを知った。大阪の住吉神社や讃岐の金比羅さんには、因島の人たちの寄付名がたくさんあるというのは有名な話であるが、本四国55番別宮山南光坊もそれに加えておきたい。

大三島の大山祇神社は古くから山、海さらに戦の神を祀っており日本の総鎮守と呼ばれたこともある、そのようなご利益に、弘法大師信仰も加わって、特別な権威が生じたのかもしれない。

そのひときわ立派な重井村四国55番別宮山南光坊は重井川沿いの、長右衛門新開の北西の隅に、青木城跡を背景にして鎮座している。その石堂は立派なだけでなく、多くの文字が彫られているのも特色で、石工の名前は読み取れないが、尾道石工の製作によることがわかる。また嘉永三年の文字と「再建願主二百人講連中」の表記は、嘉永四年に末広講と名称を変えていることから、それまでは「二百人講」と呼び、「末広講」の文字がある他の札所は嘉永四年以降のものだということもわかる。

外浦町の村四国は全貌がわからない。八十八の全札所が完成しており、その後行方不明になったのか、あるいは完成していないのか、私にはわからない。土生町の村四国については、さらに未解明で、時々村四国の跡か、というような記述に出会うだけである。大師信仰は現在まで続くのであるが、村四国の製作と前後するような形で白滝山の石仏工事が行われており、庶民信仰はまさに百花繚乱であった。

(写真・文 柏原林造)

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