碁打ち探訪今昔四方山話【30】「耳赤」のエピソード(3)起死回生の一石三鳥の妙手

上府の途中、大阪(当時大坂)に立ち寄った秀策は訣(わけ)あって当地へ3か月も滞在することになります。おそらく中川順節が井上家の師匠で準名人の幻庵因碩の帰阪を待ち秀策と対局させようという魂胆から色々な理由をつけ引き留められたのでしょう。その間、秀策はどう時間をつぶしたものか多くは語られていません。


因碩が旅から帰ってきたのは弘化3年(1846)7月。さっそく大店(おおだな)の旦那衆が間に立って二人の対局が組まれました。場所は原左一郎宅その他という棋譜が残っています。因碩八段と秀策四段の対局だから二子の手合で始まり続いて立て続けに五番打たれた結果は

第一局秀策(二子)打ち掛け
第二局秀策(先)黒2目勝ち
第三局秀策(先)打ち掛け
第四局秀策(先)黒中押勝ち
第五局秀策(先)黒2目勝ち

初手合わせで二子の相手ではないと見抜いた因碩はさすがです。「碁にならん」と一局目の打ち掛け以後、二曲目から二段差の"先"で打ち替えています。結果は秀策の全勝だったが因碩の眼力もさすがで遺恨の残る本因坊家の麒麟児の才能を認める度量の広さも見逃せません。

この第二局が後世に残る耳赤の局。"あか耳"という人もあれば"じせき"と言う人もいるがどちらでもよいのではないでしょうか。実は、この碁は秀策必死の好局であるとともに因碩にとっても劣らず佳局だと評価されています。

幻庵因碩の傑作譜といわれるものの中には負け碁が多いようです。そして秀策はというと、このころから「一、三、五」の秀策流を打ち始めていますが、まだ完成していませんでした。㊤図の黒9のコスミが後世、悪手になることはないだろう、と秀策本人がいったとか、いわなかったとか―。

< 黒先秀策流の序盤譜 >
dc111101-1

(庚午一生)

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