作家・井伏鱒二と因島 回想記・随筆類等多数 空襲の惨状にもふれる

昨年11月に発表された、因島高3年生の課題研究「近現代文研究 井伏鱒二と『因島』」論文と、本紙での全文掲載がきっかけとなり、作家・井伏鱒二と因島についての関心が高まっている。

井伏鱒二は早稲田大学在学中の大正10年から同11年にかけての半年間、因島の三庄町千守(ちもり)に滞在した。そのことが井伏の文学作品にどのような意味をもつのか、様々な研究者が論文を発表している。

「井伏鱒二全集」全28巻(筑摩書房、1996―2000年刊)を編集した、兵庫教育大の前田貞昭教授は、論文「井伏鱒二と大正末年の因島・御調郡三庄町―井伏文学における因島検証の前提として―」を書いている。

そのなかに、大正末年の因島滞在のことを触れた回想記・随筆類が20篇ほどと因島滞在中の体験に取材したと思われる創作が6篇あると指摘している。

また前田教授には因島がモデルではないかとも言われる作品「岬の風景」に関する「井伏鱒二『岬の風景』私注稿―木津川丸と大阪商船―」という論文もある。

撃沈された船舶を描写

戦後まもなく井伏鱒二は因島を訪れたと言われている。昭和23年1月、「文藝春秋」に「因ノ島」(自選全集四巻)を発表。船で三庄町から土生町に向かう場面を次のように描写した。

―船はその波止場の先をかすめて港にはひつて行き、戦争中の空襲で赤腹を見せてゐる廃船を迂回して桟橋についた。

おそらく井伏は、日立造船因島工場への米軍の攻撃で撃沈され、船員12人が死亡した大玄丸の沈んでいる姿を目撃したのだろう。
この場面は、昭和35年5月の「鞆ノ津付近」(全集第二十一巻)でも次のように記述された。

―因ノ島の土生の港には、米軍に撃たれて傾いた汽船が何隻かあった。

彼は、大玄丸とともに撃沈された日寅丸、光隆丸の惨状を見たのだろう。

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