国の防空壕23カ所確認 空襲を考える会が調査 土生・三庄・田熊・重井

第二次世界大戦末期の因島空襲を調べている「因島空襲を考える会」は9月25日、因島重井町にある、国の指示でつくられた特殊地下壕(防空壕)の最後のひとつを確認し、島内23カ所すべてを掌握した。

また多くの住民からの情報が寄せられ、それら以外の地元でつくられた防空壕ならびにその跡地が20カ所近く確認された。

この調査活動は、平成21年11月に尾道市(国土交通省)の作成した地図に基づき、7月2日から9月25日までのおよそ3カ月、9回実施された。

地図があるとはいえ、確認作業は容易ではなかった場所も多数あった。付近住民の案内やアドバイスがその作業を助けた。

資料によると国が指示して作らせた防空壕は因島には23カ所あり、尾道市内において図抜けて多い。町ごとに区分すれば土生町8、三庄町7、田熊町2、重井町6になる。

軍用地が広がる重井などの海岸

因島の郷土史研究家である故中島忠由氏の「因島市史略年表」(昭和56年)の1944(昭和19)のところに次の記述がある。

重井村の深浦・小田浦、大浜の添川などが軍用地となった。戦局の敗色濃く、各地で防空壕を掘る。一月軍需工場の指定をうける。五月強制疎開命令がでた。

この間の調査活動のなかで多数の年配者が、大浜―重井―西浦にかけての海岸エリアが軍用地で、航空燃料の入ったドラム缶を運ぶ作業を地元住民が行なったと語った。

軍需工場に指定された日立造船因島工場のあった土生町、同三庄工場のあった三庄町には防空壕が多数つくられた。

ナティーク城山がある城山には大小10数個の防空壕がある。工場内には巨大な防空壕群がある。旧三庄工場正門に隣接して入口が3カ所ある因島で最大規模の壕がある=写真上。田熊町には当時、占部造船(現在の内海造船田熊工場)があった。

「因島空襲を考える会」(TEL090-2008-2938)は、調査は始まったばかりであると語り、いっそうの住民からの情報提供を呼びかけている。

戦時防火水槽研究者と交流

因島空襲を考える会」の青木忠氏は9月23日、京都市で、戦時下の防火水槽を研究している滋賀県大津市教委文化財保護課主幹の青山均氏と交流し、調査活動についてのアドバイスを受けた。

同氏の専門は考古学。市埋蔵文化財調査センター主幹として遺跡発掘を行っている。昨年、同館の研究紀要17で「戦時中の防火水槽―大津市内に遺存する例から―」を発表した。

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