因島にて… つかみかけた確信【終】

時代遺跡の島 (21)
現代史への責任(6) 第二次世界大戦における捕虜虐待問題を調べている私にとって、米国のビンラディン容疑者殺害は不愉快な事件であった。ホルダー司法長官がこの行為の正当性を主張するにあたり、真珠湾攻撃を指揮した山本五十六・連合艦隊司令官搭乗機の撃墜を例に引いたのをみて、「これがアメリカのやり方か」と思った。


 というのは、連合軍側の戦争犯罪の資料に目を通すと、彼ら特有の「日本軍捕虜への虐待」の実情が浮かび上がってくるのである。そもそも連合軍は、日本兵に対して降伏の余裕を与えたのか。降伏するまえに、容赦なく殺害したのではないのか。また降伏した日本兵を捕虜として連行するのをわずらわしがり、その場で処刑したのではないか。様々な疑問が広がってくる。
 地域の現代史への問題意識を何点かにわたって述べてきたが最後に、元英軍捕虜たちが語る「原爆肯定論」について言及したい。フレッチャー‐クック氏も「私としてはどうしても原子爆弾の投下なしには、とても捕虜の生還はおぼつかなかったという考えを、慎むことができなかった」と、心情を吐露している。
 「天皇のお客さん 書かれざる戦史―日本捕虜収容所」を熟読することで私は、多くの連合軍捕虜たちが劣悪な環境のなかで死亡し、日本の敗戦時には大虐殺の危機に遭遇していたことを知った。しかし、百歩譲っても次の一点でどうしても彼らの「原爆肯定論」に同意できない。
 戦争行為における兵士の死と、原爆投下に代表される無差別空襲による非戦闘員としての住民の死を同じ次元では語れないということである。本来、戦争とは、訓練され、軍隊として組織された兵士同士の戦闘行為のはずである。味方の軍隊を救済するために相手国の非武装の国民を無差別に殺戮してよいはずがない。その意味で、第二次世界大戦は「戦争を逸脱した戦争」であり、勝利した連合国であろうが、敗戦した枢軸国であろうが、いずれにもひとかけらの正義もありはしないのだ。
 捕虜といえども組織だった軍隊であり、捕虜収容所はひとつの戦場の延長にあった。実際に捕虜たちは、心底から敵国に屈服したわけではなく、いかなる虐待のもとでも軍人としての誇りを捨てなかったはずだ。防備のすべのない多くの相手国市民の死を歓迎するとは、その軍人としての誇りを放擲するに等しい。
 第二次世界大戦下で、どれほど多くの市民が抵抗することなく殺戮されていったことか。彼らにどれほど降伏し、助命嘆願する時間が与えられたことであろう。
 ふり返って十年前に私は、元英軍捕虜たちから、肉声で原爆肯定論を聞くことになった。そのときに感じた、耐え難い違和感の正体を思い直してみる。あの大戦を担った軍人たちが、そのことを忘れたかのごとく、戦争被害者としてスピーチしていることへの拒絶感だったのだろう。
 連載「因島にて… つかみかけた確信」を開始したのは2009年11月14日からである。そのなかでどのような経緯で郷土現代史に関心を持ちはじめたのかを説明しながら、因島空襲と捕虜収容所のことに焦点を合わせて、育んできた問題意識をあますことなく活字にすることに努めてきた。
 その作業は、私の誕生から思春期における精神の空白を埋める営みにもなった。そして今、確信めいたものを獲得できたようだ。これを土台にして、いっそう現在と将来について語っていこうと思う。今や時代は、確実に転換点を迎えている。その流れに取り残されないためにも、発言を止めてはならないだろう。(完)
(青木忠)

次号から「因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの」の掲載を始める。3・11東日本大震災とその後の日本の動向について考えていきたい。

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