時代的背景を紡ぐ 本因坊秀策書簡【62】秀策に甘えた人たち(6)

秀策父子のやりとり
 囲碁とのかかわりない人物で秀策の書簡に「長尾」の姓が出てくるのでこの項で取りあげましたが、いま少しふれておきましょう。


 安政6年(1859)9月17日付の書簡で橋本吉兵衛、橋本長右衛門宛のものの一節に「長尾浩策先頃参られ候節は留守、其の後尋ね申す可く存じ候も其の儀無く御地へ対し申し分もこれなき次第也。然しながらそのうち尋ね申すべく候」とあります。
 安政年間といえば攘夷か開港かで徳川幕府はゆらぎ、安政の大獄、水戸藩士による桜田門外の伊井大老殺害事件などがあり江戸は騒然。お城碁は上様上覧もなく下打ちにとどまることもありました。こういうご時世に長尾幸作は京都から江戸にのぼるわけなので父俊良は心配です。そこで橋本家に依頼して秀策への紹介状を持参させて江戸へ送り出しました。浩策が江戸に着いて最初に本因坊家を訪れたとき秀策は留守でしたが、それから2か月後に会って2人は故郷の話に花をさかせています。
 同年11月18日書簡によると「東灰屋、近年おとなしく、人聞きも宜しく勢い玉の浦一人の由、長尾浩策より承り御同慶の儀に御座候」とあり、そこにある東灰屋とは橋本長右衛門を指し、玉の浦は古くからの尾道港の名です。文面から秀策の地元後継者である橋本一族の評判を幸策から聞いて大喜びしている秀策の人柄がしのばれ、心暖まるものを感じます。
 ところが、既に述べたように万延元年1月、咸臨丸で渡米した幸策は10月に帰港して郷里の尾道に帰っていたが秀策から借用した金子を返済していなかった。もちろん渡米のことも話さず出発にあたって書状を塾生に託しただけで「先輩を利用するだけで礼を尽さぬ男」と立腹しています。郷里ではこのことに驚いて詫び状を出すやら秀策の父輪三に取りなしかたを依頼するやら大さわぎ。
 父輪三は秀策宛に「少々の金子にて長尾幸作を咎めることは大人げない」と書簡を送っています。しかし、その返事は「長尾浩策儀に付、御教諭の趣感状奉らず候」と強い調子で書かれており、現在残されている秀策の書簡の中では他に見当たりません。秀策が幸作にとった処置はお金の貸借による世間の信用について幸作の将来への教訓として自負が漲ったのでしょう。例え郷里の関係深い弟子とはいえ正邪を明らかにしているのが秀策らしいといえるでしょう。
 和解の書簡には「然しながら壮年にて海外えも参り、同人よりも詫び言申し越し、東灰屋よりも同様申越し、是迄通り…」とあり、あっさりと許したあたり本因坊家の次の当主としての風格がしのばれる。

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