重松清作品に見る“家族”のあり方【6】

Ⅵ 親としての重松清

自身も二人の娘の父親として子育てに携わる重松氏は、『みんなのなやみ』『みんなのなやみ2』の中で、様々な家族の相談に応じている。

子どもや親の悩みに共感しつつ、作家として、一親として的確なアドバイスをおくっているのだが、ここで注目すべきは、明確な“正解”を出すわけではないということだ。あくまでも一つの“考え方”として解決策を一緒に考えてくれるのである。その中でもより重松氏の子育て観が分かる言葉は、以下の通りである。

「親、教師、地域が三位一体になって子どもを見守ろう」というスローガンがもっともらしく語られているけど、子どもにとっては三位一体で同じことを言われることほど、キツいことはない。三位一体ではなく、三角形で、それぞれの角度、それぞれのベクトルから、子どものことを見ていきたい、どうか、見ていってほしい。(重松清『みんなのなやみ』理論社・2004年)

かっこいいことを言っちゃうと、「心配する」ことは親の仕事じゃないと思う。心配っていうのは、言ってみれば、誰でもできる。でも、その心配を背負って、じゃあどうするかということを考え、そして行動するのは、やっぱり親しかいないと思うんです。(重松清『みんなのなやみ2』(理論社・2005年)

成長した子どもにとっては、親から頭ごなしになにかを決めつけられるのが、いちばん、嫌なことなんだ。いつまでも子どもではない。でも、一人で解決できるほど、おとなでもない。その距離感をはかるのはほんとうに難しいことだけど、子どもを守る気持ち、でも子どものプライドに土足で踏み込まないでいようとする態度は、親のほうも、うまくバランスを取っていきたい。(重松清『みんなのなやみ2』(理論社・2005年)

Ⅶ 重松作品の根底

重松氏は『カシオペアの丘で㊦』のあとがきで、自身の作家活動の礎となっている草野心平氏の詩について、次のように語っている。

借り物の言葉で恐縮だが、たとえば草野心平の詩にある「みんな孤独で。/みんなの孤独が通じ合うたしかな存在をほのぼの意識し」(『ごびらっふの独白』)という一節に導かれるようにしてお話を書いている自分だから、夜空はいつのまにか世の中や人生になっている。星の一つひとつが、一人ひとりの人間になっている。そして、孤独なひとたちがつながりあう物語を、僕は、新しい星座を夜空に描きだすつもりで、ずっと(しつこく、うっとうしがられながらも)書きつづけているのだろう。(重松清『カシオペアの丘で㊦』(講談社・2010年)

また、『ごびらっふの独白』には

「幸福というものはたわいなくっていいものだ。」

「われわれはただたわいない幸福をこそうれしいとする。」

という一節もある。重松氏の根底にある家族の概念とは、「孤独を共有する個々の存在どうしがたわいない幸福によって結びついている」というものなのではないだろうか。

Ⅷ おわりに―重松清が描きたいもの―

重松氏が作品を通して我々に伝えたいことは何だろうか。それは、家族のあるべき姿だと考える。重松氏の作品に、心の底から家族を嫌っている人は登場しない。多少のぎこちなさや反発心こそあれ、胸の内には家族に対する愛情があるという描写が多いのである。そして、その愛情に対して素直になれないが故の後悔や懺悔を描いてきたと重松氏は言う。

『相手が目の前にいた時にはちゃんとできなくて、去った後に何とかしなくちゃいけなくなる。それが「後悔」だと思う。で、考えてみたら、僕はずっと「後悔」を書いてきたんですね。(木村俊介『物語論』講談社・2011年)』

しかし後悔したまま救いの無い物語もほとんどない。つまり、それらに対する”許し”があるのだ。許し、許され、受け入れることのできる関係こそが、重松氏が本当に描きたい”家族”のあり方なのかもしれない。

(完)

平成27年度広島県ことばの輝きコンクール優秀賞作品
「重松清作品に見る“家族”のあり方」
因島高校3年 林真央

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