ふたりの時代【27】青木昌彦名誉教授への返信

新しい波
 戦後政治史を画する60安保闘争を担った学生群像への興味は尽きない。昨年の暮れに東京で開かれた「ブンド創立50周年記念飲み会」に案内を受けたので、取材をかねて出席した。その場で幸運にもブンド書記長であった故島成郎氏の博子夫人のお話を聞くことができた。そのなかの「もともと一匹狼だった人たちが集まって新しい組織をつくり、そのなかでそれぞれが、さらに一匹狼として動いて、どうなることかと思った」との話が印象に残った。


 青木昌彦氏は著書で東大入学当時に接した学生群像について記述している。
 56年には学生運動が再び上げ潮に乗り始めていた。日本共産党は50年代前半の武装闘争を自己批判して、学生にソ連発の「歌や踊り」のソフト路線を持ち込もうとしていたが、古くからの学生党員たちの多くはもっとまともな大衆的政治闘争を目指そうとしていた。いわゆる「戦後」が終わり、学生層も、「唯一戦争責任なき前衛党」という虚構の神話はどうでもいいような世代に変わりつつあった。
 東大細胞に入ってみると、秀才、俊才、異才、鬼才がキラ星のように結集していた…。
 しかし60安保闘争が60年安保闘争として爆発するためには、これだけでは不十分で、新しい世代のエネルギーの噴出を必要とした。昌彦氏は著書のなかで次のように回顧している。
 1950年代後半にフランスで起こった映画制作の新しい波「ヌーベルバーグ」に因んで、五九年春の全学連14回大会で選出された執行部は、学生運動のヌーベルバークと呼ばれるようになった。それまでは、共産党の党員で、半ば職業的といってもよい運動家たちが全学連をリードしていた。それに引き替え、新執行部は政治的なしがらみのない新世代だけで成り立ったからだ。その平均年齢は21歳をこえたばかり。この若返りはブンド書記長の卓越なアイディアだった。
 島構想の最大の目玉は、当時中央ではほとんど無名だった北海道大学教養学部の活動家、唐牛健太郎を説得し、委員長に抜擢したことだった。唐牛はランボーやカミユ、マルローなどの書に親しみ、ヌーベルバーグという言葉は彼のためにあるというような男だった。彼の演説には人の心を揺さぶるものがあり、「石原裕次郎よりも男前だ」と、男女を問わず人気があった。委員長就任記者会見では「天真爛漫にストライキ、デモを行います」と宣言して、記者団を唖然とさせた。
 1960年は時代の転換点であった。それにもっとも鋭く反応したのは当時の大学生たちであった。いつの時代も大学は社会の縮図という性格を有し、人材の宝庫であると言えよう。社会のありとあらゆる階級・階層の出身者が大学をめざし、その場で自らを磨き、時代の最先端に立とうとする。こうした学生層が、当時の支配者への反逆の道を選択したことは決定的な事件であった。
 全学連は当時の学生の気分を代表していた。学生層の政治的気運は、60年安保闘争としてほとばしり出たのだ。その若きリーダーたちは、まったく新しい主張と行動様式をもって時代に立ち向かっていった。しかしそれは、学生運動の本来的力量を超えた闘いであった。社会に対して先駆性を示すことに成功したが、最後の勝敗を決するには、当然のごとく力不足であった。
 新安保条約の自然成立とともに、全学連の運動も潮が引くがごとく後退していった。全国の大学キャンパスも平静さを取り戻したように見えた。ところが、それに憧れ、その運動を継承し、乗り越えて70年安保闘争を闘おうとする新しい学生層が生み出されていった。

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