ふるさとの史跡をたずねて【186】石鉄神社(因島土生町龍王山)

石鉄神社(因島土生町龍王山)

因島南小学校の東側に、かつて三庄町との往来であったと思われる山路がある。登って行くと右側に石切場の跡があり、垂直に削られた岩の下は池になっている。登りきると峠で、近くに三庄明徳寺山四国八十八ケ寺がある。峠の少し手前に、左へ行けば竜王山という看板があった。やや複雑な地形で十分に説明できないが、少し下った別の頂が龍王山だったのだろう。その下り道は、山道というよりも畑道に近かった。実はこの道が、昭和42年の高校一年の時、生物の時間に井手元先生に連れられて野外観察に来たところだと、知人に教えられた。とは言え、前の生徒について歩いただけであるから、どこをどう通ったか全く記憶にない。どうやら当時の因島高校(現因島南中学校)と天狗山を結ぶ最短コースであったようだ。

さて竜王山は巨岩の山である。山四国も尾根近くは巨岩の傍に佇んでいるという感じで、その岩にも驚かされるのだが、そのような巨岩が何個かずつまとまってあるから、誠に壮観である。そして小さいながら登山路らしきものもある。

少し降りたところに石の小祠があった。イノシシにでも壊されたのかバラバラになっていたが、完全なものもあった。祠の一つに「石鉄山」とあった=写真①。石鎚山のことである。このことから石鎚神社(石鉄神社)と石鎚山遥拝所であったことがわかる。樹木が多くは視界はよくないが、建設当時は気候によっては石鎚山がよく見えたのかもしれない。

近くの祠からは「享和元酉八月吉日」の文字が読めた=写真②。享和元年は1801年である。庶民信仰の跡を留める貴重な場所である。

さらに下ると三子松の円筒形の古い貯水槽の所に出たから、こちらから登るのが近いと思う。

天狗山から小丸山へかけての尾根筋は長いから、方々に登山道があったのであろうが、人が通らなくなると潅木に覆われて消失するのは、ほかの多くのところと同じである。

(写真・文 柏原林造)

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