ふるさとの史跡をたずねて【85】堂崎山城跡(因島外浦町)
堂崎山城跡(因島外浦町)
因島には因島村上氏とは関係が薄いながらも、城跡と呼ばれるものがいくつかある。外浦町の地蔵院裏の山頂にある堂崎山城跡もその一つである。
南朝の年号で言えば興国4年(1343)に南朝方の広沢五郎や大舘右馬亮が伊予から北上し、ここに立て籠もって北朝方と戦った。4月14日に負けたということが鼓文書に書いてあるので、史実として理解できる。
こういう話から、南北朝の動乱というのは稀にみる地方の時代であったのではないかと思う。その動乱期がかくも長引いたのは、足利尊氏が後の信長や秀吉ほど強くなかったからであろう。それ故、結局は敗者となる南朝方の忠臣たちの行く末が哀れである。その哀れな話の新田義貞と脇屋義助の子孫たちが大島経由で、因島村上氏の家老となるのであるから、南北朝の話を思い出しておくのも悪くはないのである。
さて、その堂崎山へ行くには地蔵院の寺標のあるところから鏡浦町へ続く峠道を登る。イノシシに荒らされてなければ十分もかからないが、ほぼ登りきったところに高圧送電線の鉄塔がある。
そのあたりが城跡で北に下がる尾根筋にあったのだろう。この峠道もかつては幹線道路だったのだろうが、付近の畑が山に戻るに連れて、荒廃するのは仕方のないことである。鉄塔の近くには塞の神も祀られていて、かつてははかなりの往来があったことが推定される。
(写真・文 柏原林造)
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