ふるさとの史跡をたずねて【120】住吉神社(因島外浦町三区)

住吉神社(因島外浦町三区)

ところで隠島神社は我が社であると主張する神社が複数存在するということは、授けられた従五位下という栄誉が忘れられ、隠島神社という名誉ある社名までも捨てられていたということであろうか。あるいは贈位の乱発によって、昨今の日本遺産・世界遺産とか各種の何々賞などの例でわかるように、その価値が急速に下落したのであろうか。従五位下の隠島神社がその地にそのままの名で存在していればこんな奇妙なことはおこらなかったはずである。そのおかげで、この史跡巡りも遠回りができるのではあるが…。

さて、次の隠島神社の候補は外浦町の住吉神社である。ここへは島四国23番薬王寺を目指していけばよい。地蔵院の前の道を南の奥を目指す。住吉神社は航海や港の神だから、創建された頃はこのあたりまで海が迫っていたのだろう。外浦という漢字が示す音がどうであったにせよ、漢字の通り、地理的に見ても中庄の外港であったと考えて大きくは違っていないと思う。

また、住吉神社と地蔵院の間に金蓮寺跡があり、五輪塔やそれらの残欠が畑の隅にある。金蓮寺跡と中庄町の金蓮寺との関係は、今回は触れない。その元金蓮寺が住吉神社やその前身となる神社の神宮寺だったという考えは、神仏習合の時代が長かったことを思えば首肯できる。すなわち、それなりに繁栄した時代があったと考えられる。

その賑わいは港の衰退とともに消えていく。それは南にそびえる奥山に連なる山から流入する土砂の堆積によって、港の機能が低下したことに起因するのか、あるいは船や操船術の進歩によってその役割を終えたのかは、わからない。いずれにせよ、その後埋立や干拓が進み海岸から遠く隔たったところに住吉神社が存在するのである。

近くの堂崎山は南北朝の動乱のころ賑わったのは確かだろう。しかし、それと住吉神社周辺の賑わいとは異なる。地蔵院から堂崎山へ登る道々見る周囲の谷間の広さは意外であったが、私が初めて住吉神社を訪ねた時は大木は切株が残っているだけで、周囲も次第に山林に復しているような状況であったから、古い時代のことは、ここに書けるほど想像できない。

(写真・文 柏原林造)

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