同志社大学時代 土井たか子さんの思い出

掲載号 14年10月11日号

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同志社大学時代、憲法学者で教授の田畑忍氏の講義は人気があった。教室は選択科目だったのでいつも満員。京大の学生が聴講にくる有様。昭和25年ごろの話である。

いまさら言うまでもないが我が国が敗戦後のアメリカ軍占領下に制定された平和憲法9条の解釈に学生は耳を傾けた。このころ紺色のスーツに身をまとった土井たか子(多賀子)さんがいて男子学生にかこまれていた。のちの社会党党首おたかさんである。

田畑教授の講義に魅せられ憲法を専攻。大学院に進み田畑教授のすすめもあって政治家に転身。「やるっきゃない」「駄目なものは駄目」…など数々の名言を残した。歯切れのいい街頭演説は、いつも人だかりでふくれあがった。

86年の社会党委員長のころインタビューを申し込んだところ待ち合い場所はパチンコ店で、阪神タイガースの熱烈ファンだったことを思い出す。その彼女も政治問題となるとスイッチが入ってぐっと集中、迫力があった。先月20日に兵庫県の病院でなくなった。85歳だった。

(村上幹郎)

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