三庄空襲 沖縄疎開者が犠牲 城間尾道市会議員現地訪問
掲載号 14年03月29日号
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昭和20年7月28日の米軍による三庄空襲で沖縄疎開者が犠牲になった現場を20日、沖縄県那覇市にルーツのある城間和行尾道市議が訪問した。
議員を案内したのは空襲調査をつづける青木忠さん。雨の中、69年前の悲惨な状況を説明した=写真。
その場所は、因島三庄町七区の旧備後クラブのすぐ下。一発の爆弾で3軒の家屋が崩壊し、沖縄戦を避けて疎開していた沖縄の学童ら多数の死傷者が出た。
自らの家が全壊した大田(旧姓山崎)しどりさんは中学3年の時の作文「忘れられない思い出」にそのことを描いた。
「私の家の隣は、一家六人生埋めになり、死んでしまった。おばあさんだけ生き残り、写眞を見て狂気のように町を泣き乍ら歩いていた。」
地元では、この家族は沖縄から疎開してきた「ナカソネ」一家であると言われている。