福島放射能汚染地域に生きる子どもたち【9】
掲載号 13年04月27日号
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3 孤立する「いわき」
東京電力福島第1原発第1号機から4号機までの水素爆発等により、著しい放射能汚染地域となった福島県の浜通り、中通りは、通常の何百倍、何千倍、何万倍と言うヨウ素131やセシウム137、ストロンチューム90などの放射線が撒き散らされ、大地が汚染されました。福島だけではありません。風に乗って福島県の周辺地域まで放射能が飛散し、大地を汚染しました。
東日本大震災から約2か月後のいわき市(5月8日撮影)
当初、原発放射能汚染の代名詞として「いわき」が使われていました。いわきには入らない、行かない、いわきには運ばない、いわきには届けない、いわきナンバーの車は出て行け、いわきに帰れ、いわきから来た人は入るな等々、「いわき」というだけで、いわれもない差別や排除を受けた話が今も記憶に残っています。私も車で県外に行かなければならなくなったとき、いわきナンバーなので大変心配しました。
そのような差別感に加えて、孤立感、孤独感を味わいました。
福島在住の和合亮一は「放射能が降っています。静かな、静かな夜です。」と4月9日のツイッターで書きましたが、3月12日、浜通りをはじめ中通りも福島は、地震津波に十分な備えをしなかった福島第1原発災害による放射能汚染のため、誰からも顧みられない、そして福島に来ることが恐れられる「福島と言う孤島」(和合亮一・4月9日)になってしまいました。地震や津波の被災地区には物資などが入って行くのですが、原発不安地域、汚染地域には物資が入って来ないのです。物資は水戸止まりで、水戸から北には配達には来ないのです。色々な会社がこういう制限をしていました。
土屋修二(瀬戸田バプテスト教会牧師・博愛幼稚園園長)