続・井伏鱒二と因島【13】その作品に表現された「因島」
掲載号 13年04月20日号
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だから、なるべく四月下旬にしてゐただきたいのですがどんなものでせうか。井伏氏のお話では、私の古里でもあり弐拾円位でいゝそうです。それから、外に有名な人を一人引つぱりたいのですが、けつそんした場合は私が何とかしますが、弐拾銭の切符は大変いゝと思ひます。よろしくお願いゐたします。四月号改造読んで下さいませ。尾道の事を書いております。此秋、フランスへ参ります。うんと勉強したいと思つております。先生にもジョジョに御恩返へしゐたします。よろしくお願ひゐたします。下旬頃なら、いつでもよろしゆうございます。
十八日から二十五日ぐらいの間にして戴きたいと思ひます。
林芙美子
当日の演題は、林芙美子が「彼女たちへ」、井伏が「チエホフを語る」、そして書簡中にあった「有名な人」とは横山美智子のことであり、その演題は「人生と芸術」というものであったという。横山は尾道出身の作家であり、芙美子と同様尾道高女の卒業者であった。涌田氏は前掲の手紙の中に横山のないことから、他の有名な人への交渉がうまくいかずに直前に横山氏に決まったと推測する。
芙美子と井伏の講演はかなり対照的であった。芙美子が、紙上の作文は詩にならぬ、自らの体験の渦をくぐらねばならぬと、と説き、自作の詩を朗々と読み上げながら、生活即詩である、と情熱をこめて語ったという。井伏のは、チエホフの「三人姉妹」や「桜の園」を例にとり、精細な心理描写、清新なふれるという、文芸評論風の蘊蓄(うんちく)豊かな講演であったという。涌田氏は、芙美子書簡にある「弐拾銭の切符」で講師3人の謝礼の60円をもし満たしたとしたら、少なくとも300人以上の人々が集まったということになると述べている。
再び事が前後するが、講演会の前夜27日午後5時から9時過ぎまで歓迎会が行われている。参加人数は30名程度で、会費1円で本町通りの秩父屋の3階であった。その秩父屋での歓迎会が果ててからも宿舎である市内久保町の和田屋旅館で懇談が深夜まで続いたという。
今井篤三郎宛の芙美子の書簡
(石田博彦)