【卒業論文】ミュージシャンと故郷の繋がり「ポルノグラフィティと因島」(3)

掲載号 12年06月23日号

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第一章・第一節 水軍と花とフルーツの島

因島の観光パンフレットに「水軍と花とフルーツの島」と称されているように、その3つの要素は因島を語る際に欠かせないものと言えよう。水軍とは、室町から戦国時代にかけて、瀬戸内海を制し、多くの合戦で活躍した村上水軍の事である。中庄町には、全国唯一の水軍城である因島水軍城や、村上一族の墓がある金蓮寺など、村上水軍に関連するスポットがある。また、毎年夏には、因島水軍まつりが行われる。水軍武者行列や花火大会、小早レースなど、勇壮な水軍の時代を彷彿とさせる、因島最大のイベントである。

花に関しては、除虫菊が有名である。除虫菊は、かつて蚊取り線香や殺虫剤の原料として栽培され、5月には島を真っ白に埋め尽くしていた。しかし、第二次大戦後、除虫菊の殺虫有効成分であるピレトリンが合成されるようになったため、現在では観光用に一部の地区でしか見られなくなった。

因島は、酸味と糖分を含んだ独特な味わいの柑橘類・八朔の発祥の地でもある。江戸時代に、田熊村(現田熊町)の浄土寺住職の恵徳上人が境内で発見したのが始まりだという。

旧暦の8月1日頃から食べられる事から、八朔と名付けられた。「はっさく大福」や「はっさくゼリー」など、因島には八朔の商品が豊富に存在する。

また、因島は造船の島とも呼ばれている。20世紀初頭日本が戦争に明け暮れていた時代に、因島、特に南部は造船景気で大いに栄えていた。空襲や敗戦を経て造船が連合軍の支配下になるという危機を迎えたものの、高度経済成長期には再び造船業で賑わった。中でも造船城下町である土生町は、約500メートルのエリアに400店舗がひしめいていた商業地区だったそうだ。しかし、オイルショックの影響で造船業界は大きな打撃を受け、「島が沈む」と言われるまでに、因島の経済も落ち込んでしまった。それに伴って過疎化や少子高齢化も進み、現在に至るまで大きな問題となっている。

名古屋市立大学人文社会学部国際文化学科 長神有紗(阪井ゼミ卒論文集より)

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シャッターが目につく栄枯の名残りをとどめる土生商店街

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