因島市政30周年で市花になった「除虫菊」

掲載号 12年05月12日号

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因島が市制30周年を迎えようとしていたころの話。オイルショックと造船業界の構造的不況の波に飲み込まれた造船城下町から灯が消えようとしていた。そんな時、市議会の中から市木を「クロガネモチ」に、市花を「除虫菊」にノミネートした。

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明治初期に地中海のアドリア海東岸原産の除虫菊が花にピレトサンを含み蚊取り線香の材料として生産されるようになった。戦前は殺虫剤として軍需物資の必需品としても増産を奨励された。

花を天日干して加工するため、にわか雨が降ると重井小学校の児童は授業を中止して取り込み作業を手伝った。先生までも農家の手伝いに奔走したという話が残っている。

丘を越え、山の中腹まで白い絨毯を敷いた島々。麦臭、みかんの花の香りを潮騒が運んでくれたのもこのころ、さらにはお遍路さんの道行く姿にも心をなごませるのもこの季節。

蚊取り線香の材料も化学製品に変り、今は心ある重井町の有志たちが心をかよわせて観光用に栽培。時の流れをつむいでいる。

(村上幹郎)

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