北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【18】

掲載号 11年05月28日号

前の記事:“因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【2】もう逃げない
次の記事: “文化庁から委託 尾道市が3カ年かけ 歴史文化構想を策定

人種差別と偏見

この家族は戦前、戦後を通して繁栄していた日系人の遺物である墓石まで盗まれてゴミ捨て場になっていた日系人の墓地を再現しながらソルト・スプリング島で生き残ることを諦めませんでした。人種差別と偏見はオカノ・ムラカミ一家に対し、いやがらせ、中傷、破損行為、盗みなどさまざまな迫害を加えましたが、耐え忍びました。ひたすら我慢に耐えながら農場づくりに励んでいるうちに、その勤勉な働きぶりが白人や原住民の心を開かせたようです。やがて差別と偏見を乗り越えて尊敬と信頼を勝ち取ることになりました。

「カツヨリ(村上勝頼・因島重井町出身)は1988(昭和63年)3月に、キミコ(村上君子同田熊町同)は1997(平成9年)7月93歳でになくなりました。戦後、3―4回、因島に帰郷したエピソードや写真が親類縁者の家に残っていますが、ここでは割愛させていただき、彼らの娘であるメアリー・キタガワさんの言葉を引用させていただこうー。

彼女の両親は真の意味での"チーム"であり、彼らは子供たちに、忠義、誇り、誠実さの重要性を日常生活を通して教え説いたと思われます。特に彼女の母親のキミコは多くの人の目をひくに値するほどの影響力をもつ人でした。彼女は多くの人々を惹きつけるオーラのような何か強い魅力があり、裕福な人、有名な人、権力のある人たちが彼女との親交を求めていたようです。

彼女は彼らに対し、個性、誠意、忍耐力、知性、知恵、勇気、楽観さ、同情、寛容さ、無欲さ、忍耐、そして決断力の重要性を説き、アドバイスを求め訪ねてきていた彼らは、定期的に彼女に会いに戻ってきては自分たちに充電して帰って行きました。

そしてキミコは、いつも誇り高く堂々とした顔でいて、決して敗北や挫折した顔は周りに見せなかったようです。

1992(平成4年)キミコ・ムラカミの肖像写真集「注目されるカナダ人女性」で、キムキャンプベル首相や最近の総督ジーン・ソーウェなどカナダの有名人たちと並んで特集されました。

2004005064
写真は結婚60年記念のカツヨリとキミコ(1986・昭和61年)Salt Spring Island Archivesより

(庚午一生)

関連書籍

E