司馬遼太郎が因島を最後に訪れてから30年

掲載号 10年05月29日号

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 作家、司馬遼太郎が因島を最後に訪れたのは昭和55年4月26日である。太平洋戦争下の昭和18年(1943)学徒出陣で入営した兵庫県加古川の戦車第19連隊で友人となった因島土生町の橋本組社長橋本輝明さんの葬儀のための来因だったので記憶は確かである。

 司馬さんは橋本さんとの関係を弔辞の中で「君と相織りたるは三十七年の昔なり。鉾を取り技を学ばしめらる。ときに予は君と寝室を共にす。さらには八か月にわたり寝台を隣に接す。軍隊とは特殊なる社会にてこの間柄を寝台戦友とよぶ」と声をつまらせた。

 葬儀は土生町の善行寺だった。当時の商工会議所の会頭は中村茂さん。受付には因の島ガス社長村上重喜さんや小川工務店社長小川豊治さんらがいた。

 そして今、一度切れた縁を輝明さんの甥、橋本組柳澤ゆきひこ社長(ロータリークラブ会長)と司馬遼太郎の義弟、上村洋行館長が復活。因南中に息吹を送った。弔辞の中で「輪廻」を説いた司馬さん。天国で苦笑している顔が浮かんでくるようだ。

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