竹下虎之助氏と因島

掲載号 08年12月20日号

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 経済成長期の広島県知事を3期12年間にわたり務め地方自治一筋に歩んだ竹下虎之助氏(84)が16日死去した。島根県大田市の出身で、松江の記者仲間から「広島県は人材がいないので知事を貸してやっているのだ」と、ひやかされたものだ。

 因島・瀬戸田・向島が離島振興法の提唱者であった竹下さんから受けた恩恵は多い。一例をあげれば、重井町の鉄工団地を造成、協同組合設立の指導をしたのは県商工部長時代。オイルショックを受け「島が沈む」といわれたピンチに重厚長大型の産業構造からの転換を目指し、当時1兆円産業といわれた花卉園芸産業に目をつけ気候温暖の因島重井町の県農業試験場に20億円かけて県立フラワーセンター建設は知事時代。1989年の「海島博」にオープン。東部メイン会場として114日の期間中、イベントが繰りひろげられた。

 だが、任期終盤にはバブル経済が崩壊、企業誘致のため買収、造成した用地の一部が長期塩漬けとなり財政悪化を招く要因となった「負の遺産」もあった。

(村上幹郎)

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