誰(た)に学びし鳩の子育て背後より一羽帰りて一羽飛び立つ

掲載号 08年10月04日号

前の記事:“碁聖没後135年顕彰の悲願 本因坊秀策囲碁記念館オープン 地元因島外浦町民法楽踊りで祝う
次の記事: “ふたりの時代【15】青木昌彦名誉教授への返信

大庭美代子

 あれは誰が教えてやったのだろうか、感心しながら山鳩の子育ての様子を近々と見ているところである。

 去年の山鳩だろうか、今年も庭の木に来て「でででっぽうー」と、鳴くようになったと思ったら、それから2、3日経った頃に、よくよく見ると、いかにも坐り心地のよい枝に、枯枝を10本ばかり置いたような、今にも卵でも雛でもこぼれ落ちそうな巣作りをして、その上にじっと親鳩が座っていた。昔からよく言われている「うん、知った、鳩の巣」いわゆる慣用句であるが、一寸見には小鳥の巣とは言えない枯枝の棚みたいなもので、鳩の親が抱卵をしているので初めてあれが鳩の巣かと感心したそうである。

 2日程、忙しくしていて鳩の巣を見ない日があって、木の下をふと見ると、卵の殻のような白っぽいかけらが転がっていた。巣の中には雛がかえっていた。どうやら2羽いるようだ。昨年は無事巣立ったが、一昨年は蛇に食べられて可哀そうだった。通りがかりの人が偶然に蛇に呑まれるところを見たそうである。

 生き物たちには、それぞれに適した習性をもっており、人間の目から観察すると、誰があんな事を教えたのだろうと、不思議と驚きの連続で見守ることがある。NHKで放映されている「ダーウィンが来た」の動物、昆虫を見ても、びっくりしたり、感心したりである。

 この歌のように、鳩の番(つがい)が、見るも見事な早技で、生れて間もない雛を守り、餌を運んでの子育て風景である。どこからともなく親鳩が現われて、巣の雛を羽交いに抱いている、もう一羽と入れ替わるのである。一瞬の出来ごとであり、嘴には虫を啣えての愛情あふれる子育てのバトンタッチである。

(文・池田友幸)

関連書籍

E