タンポポの絮(わた)ふくれつつ風を待つ見知らぬ郷(さと)を恋うるか汝も

掲載号 08年07月05日号

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池本 滝子

 人跡稀な深山の暮しを、十年ほど経験し、日々感動したが、積雪二メートル超えの春雪の下で青草が生長していたのは圧巻だった。その時、私は、雪国の春が一斉に訪れる秘密に触れたようで、おののいた。

 この国には春夏秋冬それぞれに風道があり、春の風道には春の花が咲く。それは、花の命の短さをいと惜しみ、生命の継承に相応しい自然の配慮と思う。

 ある風道の一角には白タンポポの群落が見事に咲きそろい、やがて白い鞠の形となって風にそよぐ。

 タンポポの絮は日毎にふくらんでいたが、それは「いざ鎌倉」に備える身支度だ。この綿毛式落下傘はいつ飛び立つのかと見守っていたら、忽然と消えた。

 タンポポの種子は、白い落下傘の下でブランコのように揺れ、遠くへ運ばれ、運がよければ根を張り、一城の主へ…との夢に賭けたのだろう。

 タンポポ畑と名付け、親しんでいた軽やかな白い鞠たちには、何処からか、何かの指示があったのだ。指示者は誰だろう。

 作者は、そうした命の機微を「見知らぬ郷(さと)を恋う」と詠まれている。「郷」とあるから、理想郷として、田舎めき、体を寄せ合い、「汝が命こそ我が命」と庇いあう素朴な情愛を感じられたのか…

 そういった素朴純真な郷こそ「なければならぬ」と作者は思っておいでのようだ。

 雪の下という生存限界での新芽の群、一斉に飛び立とうとするタンポポの絮、作者ご自身の夢、そのいずれもが、命の継承を目指す聖意思ではあるまいか。

(文・平本雅信)

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